こんにちは、今日は久々にお邪魔した勉強会のレポートを。
知る人ぞ知るというか、業界内では囁かれるITIL4ですが、今回の勉強会でものすごく良い例えに出会いました。
ITIL はじめの一歩 スッキリわかるITILの基本と業務改善のしくみ (IT Service Management教科書)
- 作者: 最上千佳子
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2019/03/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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日本クイントの最上さんが著者です。そして、今回の勉強会の登壇者でもあります。
そもそも、最上さんの書き方も丁寧で、例えもわかりやすく、かつ平易で素晴らしいのですが、最後の後書きに全てが集約されていました。
(前略)
「よく分からんけど……働いている人達を幸せにする仕事みたいだなぁ」
(後略)
そうなんです。
ITIL4は人の役に立つフレームワークなんです。
ではどんな人の役に立つか。
それは、はじめにに書かれています。「生活も仕事ももっと成功したい人」です。
成功したい、の定義は人によりますが、例えば、もっとお金を稼ぎたいなら、売り上げを稼ぐ、コストを減らす、そういった個々の目的に対して洞察する手段を提供し、実行する手引き、それが、ITILの本質なのです。
通常、ITサービスマネジメントのフレームワークと解されることが多いですが、ITILv3から、徐々にITの枕詞が取れてきたように思い、ITIL4になってからは完全にITは統制するものから利用する手段に変わっているように思いました。
要は、IT、特にエンタープライズIT(会社で使うIT)は、もはや、作りこむものではないということです。ざっと見ればわかりますよね。
・社内のキカンケーシステムの陳腐化、老朽化
上げれば枚挙がありませんが、超高級なハードウェアやスーパーエンジニアがゴリゴリと作ることが正しいのではなく、既に用意されているパーツを組み合わせて用件を聞きながら作りこんでいく。(もちろん、スーパーエンジニアが必要な時もあるでしょうが)
コードが読めることよりも、コードの組み合わせによって作られたパーツを組み合わせることで目的を達成する。(状況によっては多少のコード書きもあると思います)
「目的を達成する=顧客の価値」なのです。
ITIL4は、そういう観点で、顧客の価値を"共創"しようとするフレームワークです。
そもそも、顧客が困っているのはまだましで、今の時代、「困っていることに気が付かない」ことの方が多いんです。
- 統制上正しいことを証明するために承認プロセスを通すのが当たり前
- 証跡としての紙を保管するのは当たり前
- データは集める/加工するのに時間がかかるのが当たり前
- データが取れないのが当たり前
これ、当たり前だと思っていませんか?違うんです。
今まで当たり前だと思っていた困っていない困りごと(困っていることに気が付けない困りごと)を解決するのが、これからのITという道具の使い方なんです。
なぜ承認プロセスを通すのか、なぜ紙として保管するのか、なぜデータの加工に時間がかかるのか、なぜデータが取れないのか。
簡単に書けば、上流の困りごとは、だいたい下流で解決できる。その「仕事」の仕方を根本から、つまり下流の現場が、上流の困りごとを知ることで下流の仕事の仕方を変える。それがあるべき姿だと思います。
余談ですが、そのためには、先日投稿した上流と下流の「ザッソウ」が大切になると思うのです。それができないのであれば、「ザッソウ」をファシリテートする存在が欠かせないのではないかなと。
ITIL4は、共創のフレームワークです。今までのようにITSMのフレームワークとして、上意下達、機能として生きること、フレームワークを順守しお客様にサービスを提供すること。それに、NOではなく、付加する形で今までの枠を超えて、お客様と共にサービスを通して価値を作り上げること。それを可能にする概念です。
今回の勉強会で学んだことは、「自分は誰かのサービス提供者であり、誰かのサービス受益者である」ということです。誰かが誰かの価値を提供し受益する。本質的に働くということはこういうことなのかもしれません。
お客様は神様です。
という言葉がありますが、では、「神」とは何なんでしょうか?
「神様の言う通り」ではなく、神様とは「導くもの」であるとするならば。
自分が生きとし生けるものの中で幸せであるために導くものではないかと思います。
そう考えるとお客様は神様ですという言葉の本質は、お客様は自分を幸せに導くものであって、神様はその覚悟をもって接していることなんだろうなぁと。
そう考えると、お客様は神様ですという言葉も今の時代にフィットした、要は、価値提供の相互関係者としてのキーマンだと考えると、何となく「お客様は神様です」も腹落ちする表現だなぁと思うのです。
絶対神は死んだ。だが、謙虚にかつ敬虔に人を愛し人を導く神は地母神的な神こそが、本当の神様なんじゃないかなと。
神に敬虔であることとは、神に平伏すことではなく、神と共に神の目指したるところを追い求めること。
ま、解釈の違いです。(笑)
※別に特定の宗教を揶揄するものでもまた、非難するものでもありません。ただ単に、「お客様は神様です」を分析しただけであることはご承知おきください。