なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

都内の勉強会参加レポート(続、ITIL4)

こんにちは、今日は久々にお邪魔した勉強会のレポートを。

 

知る人ぞ知るというか、業界内では囁かれるITIL4ですが、今回の勉強会でものすごく良い例えに出会いました。

ITIL はじめの一歩 スッキリわかるITILの基本と業務改善のしくみ (IT Service Management教科書)

ITIL はじめの一歩 スッキリわかるITILの基本と業務改善のしくみ (IT Service Management教科書)

 

日本クイントの最上さんが著者です。そして、今回の勉強会の登壇者でもあります。

そもそも、最上さんの書き方も丁寧で、例えもわかりやすく、かつ平易で素晴らしいのですが、最後の後書きに全てが集約されていました。

(前略)

「よく分からんけど……働いている人達を幸せにする仕事みたいだなぁ」

(後略)

そうなんです。

ITIL4は人の役に立つフレームワークなんです。

ではどんな人の役に立つか。

それは、はじめにに書かれています。「生活も仕事ももっと成功したい人」です。

成功したい、の定義は人によりますが、例えば、もっとお金を稼ぎたいなら、売り上げを稼ぐ、コストを減らす、そういった個々の目的に対して洞察する手段を提供し、実行する手引き、それが、ITILの本質なのです。

 

通常、ITサービスマネジメントフレームワークと解されることが多いですが、ITILv3から、徐々にITの枕詞が取れてきたように思い、ITIL4になってからは完全にITは統制するものから利用する手段に変わっているように思いました。

 

要は、IT、特にエンタープライズIT(会社で使うIT)は、もはや、作りこむものではないということです。ざっと見ればわかりますよね。

AWSGCP、Azure等のSaaS、PaaSが台頭

・社内のキカンケーシステムの陳腐化、老朽化

上げれば枚挙がありませんが、超高級なハードウェアやスーパーエンジニアがゴリゴリと作ることが正しいのではなく、既に用意されているパーツを組み合わせて用件を聞きながら作りこんでいく。(もちろん、スーパーエンジニアが必要な時もあるでしょうが)

 

コードが読めることよりも、コードの組み合わせによって作られたパーツを組み合わせることで目的を達成する。(状況によっては多少のコード書きもあると思います)

 

「目的を達成する=顧客の価値」なのです。

 

ITIL4は、そういう観点で、顧客の価値を"共創"しようとするフレームワークです。

 

そもそも、顧客が困っているのはまだましで、今の時代、「困っていることに気が付かない」ことの方が多いんです。

 

  • 統制上正しいことを証明するために承認プロセスを通すのが当たり前
  • 証跡としての紙を保管するのは当たり前
  • データは集める/加工するのに時間がかかるのが当たり前
  • データが取れないのが当たり前

これ、当たり前だと思っていませんか?違うんです。

今まで当たり前だと思っていた困っていない困りごと(困っていることに気が付けない困りごと)を解決するのが、これからのITという道具の使い方なんです。

 

なぜ承認プロセスを通すのか、なぜ紙として保管するのか、なぜデータの加工に時間がかかるのか、なぜデータが取れないのか。

簡単に書けば、上流の困りごとは、だいたい下流で解決できる。その「仕事」の仕方を根本から、つまり下流の現場が、上流の困りごとを知ることで下流の仕事の仕方を変える。それがあるべき姿だと思います。

 

余談ですが、そのためには、先日投稿した上流と下流の「ザッソウ」が大切になると思うのです。それができないのであれば、「ザッソウ」をファシリテートする存在が欠かせないのではないかなと。

 

 

ITIL4は、共創のフレームワークです。今までのようにITSMのフレームワークとして、上意下達、機能として生きること、フレームワークを順守しお客様にサービスを提供すること。それに、NOではなく、付加する形で今までの枠を超えて、お客様と共にサービスを通して価値を作り上げること。それを可能にする概念です。

 

 

今回の勉強会で学んだことは、「自分は誰かのサービス提供者であり、誰かのサービス受益者である」ということです。誰かが誰かの価値を提供し受益する。本質的に働くということはこういうことなのかもしれません。

 

 

お客様は神様です。

という言葉がありますが、では、「神」とは何なんでしょうか?

「神様の言う通り」ではなく、神様とは「導くもの」であるとするならば。

自分が生きとし生けるものの中で幸せであるために導くものではないかと思います。

そう考えるとお客様は神様ですという言葉の本質は、お客様は自分を幸せに導くものであって、神様はその覚悟をもって接していることなんだろうなぁと。

そう考えると、お客様は神様ですという言葉も今の時代にフィットした、要は、価値提供の相互関係者としてのキーマンだと考えると、何となく「お客様は神様です」も腹落ちする表現だなぁと思うのです。

 

絶対神は死んだ。だが、謙虚にかつ敬虔に人を愛し人を導く神は地母神的な神こそが、本当の神様なんじゃないかなと。

神に敬虔であることとは、神に平伏すことではなく、神と共に神の目指したるところを追い求めること。

 

ま、解釈の違いです。(笑)

 

※別に特定の宗教を揶揄するものでもまた、非難するものでもありません。ただ単に、「お客様は神様です」を分析しただけであることはご承知おきください。

ザッソウ("雑"談と"相”談)

最近、本の紹介が多い気がする。なんだろう?

 

実はまだ読んでません。(笑)ただ、この方のブログを読んで衝撃を受けました。

Social Change! ソニックガーデン SonicGarden 倉貫義人のブログ

 

私がこのブログで書いてきた主に働き方や働く上で感じた事を実践されていると。

 

すごくわかりやすく、かつ丁寧に理論的というよりも実践的に書いていただいていて、ああ、こういう事だったのかと強く感じました。

 

倉貫さんは、非常に論理的に可視化することにたけていらっしゃるなぁとそう思いました。

 

実はこのソニックガーデンさんはオフィスが存在しません。本社が存在しないのに雑談と相談の重要性を認知し、かつそれをツールで実装した。

 

これがすごいんです。オフィスで行われているコミュニケーションを洞察し、分析し、可視化(皆で共有)した。その結果、社内の他のエンジニアがそれをツールに実装した。

 これは、社員の皆さんと経営陣が全く同じ方向を向いている(ゴールや目的が一致している)上で、かつ可視化(共有化)が進んでいるからこそできること。もう一つ言うと、全員が「フルスタックエンジニア」であることも欠かせないのかもしれません。

 

素晴らしいなと思うのです。

段階的に進め、起きたことを可視化し、かつみんなで進める。

働き方3.0でAmazonの問題を考えてみた。

毎日通勤中はざっと様々なニュースに目を通します。新聞ではなくて、コラムというかいろいろな人が発信している情報に目を通しています。

そんな中で気になったのが、以下の2つの記事。

 

theacademia.com

www.bengo4.com

 

今回なぜこれに興味を持ったかというと、仕事を通じて搾取される側とする側が対話不足のせいで起きてるのかなと思ったんです。

 

労働時間を短縮から濃縮へ、これそのものはそうだと思います。ですが、相互の働きかたを理解して尊重するって部分。ここに物凄い非対称性があるなと。

 

いや、綺麗な世界ならそうだと思うのです。では、相手が働くことにどう思っているか、理解して業務を任せているのか?という点に疑問が残るんです。

一つ目の記事、「仕事は個人の価値観を具現化するもの」にちゃんと踏み込んでいるか?ということです。

 

話を単純化するために置き換えると、働く目的は食べるため(ライス・ワーク)と、働く目的は自己実現(ライフ・ワーク)と、働く事と私生活(ワーク・ライフ・バランス)とどの軸により近いのかを自分が知っているか、そして、相手の価値観を知っているか。

いや、他にもあると思うのですが、とりあえず単純化って事で。

 

それぞれが両立すれば問題ないのでしょうが、アマゾンの仕事の現場での仕事のさせかたや、最近話題になっているUber eatsのアカウント又貸し問題(配達員の下請け問題)を見ると、ライスワークをせざるを得ない人を雇っているように見える。

 

また、そこまで搾取していなくても、ライスワークな人は仕事によって得る報酬に価値があり、ライフワークは、それによりどれだけ自己実現につながるかが価値になる。

 

で、画一的にライフワークを要求しているのが今なのではないかなぁと。そのくせライフワークとライスワークをごっちゃにして、相手の価値観とすり合わせることをしてないんじゃないかなぁと。

 

そして更に、ライスワークをせざるを得ない人達を雇い問題が起き、ライフラークを標榜する人達が批判する。

でそういった批判を避けるために、おそらく、そういった仕事は機械にとって変わられる。

 

本当にそれでいいのかなぁ?と思うのです。ライスワークがあってもいい、ライフワークがあってもいい。

ただし、「私は、ライフワーク(またはライスワーク)を追求したいから」を明確に言えるし、受け止める。

 

余談ですが、ライスワークは程度の差こそあれ、私生活が豊か(心理的)になると減っていくと思うのですよ。ライスワークはそうせざるを得ない状況に(内発的であれ、外発的であれ)追い込まれた場合に起きるパターンもあると思うので。

 

このままだと、ライフワークかライフワークバランスを狙う仕事だけが残る。

仕事の報酬は、飯だ!という人が生きていけない世界になる。そのように働くことになった人が生きてゆけない世界になるのでは。。

そんな事を感じました。

 

社会保障で支えるのか、はたまた、自営業になるのか。ベーシックインカムのような施策でライスワークなき世界を支えるのか。

 

別にベーシックインカムをしたいわけではないです。どうするのが、みんなが幸せなのかな?と考えるんです。

 

願わくば、仕事は手段の一つに過ぎず、目的ではなくなる世界にならん事を。

ピザ2枚ルールの本質

ピザ2枚ルールってのご存知でしょうか?

 

Amazonのジェフが提唱しているルールです。

 

私が語るより、読んだ方が早いです。

www.businessinsider.jp

ピザ2枚でみんながお腹いっぱいになる人数で会議しよう。

 

というやつです。

 

この本でも紹介されています。

 

シリコンバレー式 最高のイノベーション

シリコンバレー式 最高のイノベーション

 

 

イノベーションを起こし、迅速に意思決定し、速やかに進むためには、8人以下のチームでやり抜くべし、というようなことです。

 

しかし、なぜそうなるのだろう?物の本によれば、深い絆を築き、チームワークが良くなり……と書いてあります。

 

しかし、それは効果の一端ではないか?そう思うのです。

 

では、なぜ8人以下のチームを組むのか。

8人以下で回るビジネスモデルを作ること。要はこの8人で解決できる課題に収まるような仕組みで回すこと。これが、本質ではないかなぁと。

 

8人は、ただ頭数を集めればいいというものではありません。

おそらく、端的に言えば、「旗を振れる」人材だと思います。しかもビジネスの。

 

もう少しお話ししましょう。

ビジネスを始めるにあたっては、いろいろなことがあります。

例えば、製造業の場合。

仕入れる→作る→移動する(輸送する)→売る

 というステップがあります。

各々、個々で必要な事は変わりますが、唯一変わらない「旗振りに求められる力」は、自分たちの会社を知っていて、どこの誰に聞けば、聞きたい事が分かるのかを知っているプロフェッショナル。

要は、人を知っていて人に聞くことの出来るプロフェッショナル、そこではないかなと。

 

人一人でできることなぞたかが知れています。それは知識も経験も同様です。

 

そもそも、仕組みを作るという事はすごく大変です。今の仕組みを理解し、どこをどう変えるとうまくいくのか。どこまでは既存でどこからは新しく作るのか。

そんなものを8人で作ろうというのは大変です。とはいえ、人数が増やしても意味はありません。把握が大変になるだけです。

10人いれば、コミュニケーションパスは90通り存在します。因みに8人なら56通り、6人30通り。

ここでどんな会話がなされ、何をしようとしているのかを把握するのは聖徳太子じゃない限り無理でしょう。

 

そこで登場するのが、この「人に聞く事ができる」力かなと。自分たちの置かれている制約条件を把握する為に、規制を知っている人、既存の仕組みを知っている人を知っている、またはそういう人に聞きに行ける。

 

本来、ビジネスの企画や構築にいる人たちはここの力が試されていると思うのです。

 

それ以外は機械に代替される人間でもいい。でも、本質的には、機械に教え込む、作る、つまり与えようとしている変更の影響がどこにあるのかを知っているか知っている人を知っている力とそこから引き出す力が必要不可欠です。

 

AI時代に、人の代替は多分作れてしまう。あなたは働きたいのか、飯を食いたいのか。

そういえば、知り合いで、ライフワークがライスワークに、なんてトンチの聞いたことを言っている人がいました。

 

それが問われている時代なのではないでしょうか?

こんな時代なら、楽しいことで働きたいものです。

仕事とは、やり抜くことである(全体最適の中で)

なるほどなと思った記事があったのでご紹介。

 

blog.tinect.jp

 

要約すると、技術的にはできる事をポンポンとやっていったら最終的には首が回らなくなって大変なことになった。

ということなのですが。

ここで得た示唆は「運用や保守まで考えてちゃんと開発しようぜ」ということもありますが、「やり抜く」という事をどう定義するか。

だと思います。

 

会社は社業をやり抜くことが使命です。

社業のビジョン、会社の存在意義に対して貫き通すこと。そのために、必要であれば、「できません」を言えること。更に「できません」の理由を説明すること。これも、やり抜くことだと思うのです。

 

つまり、言いたい人は「できません」と「なぜならば」を共有すると共に、周囲もその人間の話に耳を傾ける。

 

目の前のタスクをこなし、それに満足し「酔っている」ようでは、「できません」という人間の危機感に気がつけない。

 

これを防止するためには、以下の三つが必要だと思っています。

 

  1. 社業をやり抜くという視点で現状を見る事
  2. エンドツーエンドの視野で全体を捉える事
  3. 関係する人たちと自分との視差を捉え丁寧に説明する事

 

これ、管理職(Director)の基本だと思います。

少なくとも、私の周りにいる(いた)リスペクトした管理職は皆、この「視点」「視野」「視差」を意識したコミュニケーションをとっていたなと。

 

ちょいと横道にそれますが、この視点と視野ですが似ているようで違います。高い視点は視野は広がりますが全体はボケます。しかし、目標は見えるでしょう。

低い視点は視野が狭まりますがクリアに見えます。しかし、目標は遠く、状況によっては見えないかもしれない。

これを行ったり来たりできる事と自分が今どの視点に立っているのかを明確に意識して喋ることができる事。この1と2はある意味リンクしています。

 

話を戻して、この記事に書かれている「偉い人」には3つの役割があると思っていて、

  1. 視差/視点/視野を使い分けて現状を把握する
  2. 適切に方向性を示す
  3. 全体を巻き込む

これをしないといけない。

しかし、一人でできるわけがない。だから、あえて役割と書きました。この役割ができる人員を適切にアサインする。

 

この記事では、「偉い人」が1と2を行った結果、なんとかなった。

この事例は、ある意味「偉い人」の立ち居振る舞いを示す一つの例なのかな?と思うのです。

 

前者に出てくる「偉い人」は、この状況をなんとかしたかったという思いがあったはず。それと同時に、先々を見据えて足元を固めましょうと言う必要もあったはず。

しかし、行くとこまで行ってしまうと、後者のような「偉い人」が、気がつかないと進まない。

 

どっちの偉い人が正しかったかというわけではないのですが、シーンによって取るべき振る舞いが違っていた、それだけは言えるのではないかなと。

そして、現場の担当者(この記事の執筆者)も、もっと早く視点を上げて視野を広げ見るべきだったのではないかなと。そして、「偉い人」に伝わるように視差を認識して説明するべきではなかったかと。

 

今日はライトに(笑)

価値を増やすという働き方

価値を増やすという働き方に変えたいなと。

 

ここでいう「お客様にお渡しする価値を上げる」とは、以下三つに大別されます。

  1. コストを下げる事
  2. 人的リソースの余剰を生む事
  3. 商品、またはサービスの単価を上げる事

 

言われてみれば何となく想像がつくと思いますが、敢えて解説させていただきます。

 

1.

コストを下げると、手元に残るお金が増えます。それは、お客様からいただく価値の対価であるお金がより多く残ることを意味します。

つまり、お客様にお渡しした価値を作るための費用が下がるため、手元に残るお金が増えたことを意味します。つまり、払うものが減るから価値が上がる。

 

2.

人的リソースの余剰を作ると、その業務に費やす時間が減り、余ったリソースをお客様にお渡しする「価値を増やす活動」に向けられます。

または、新技術や新しい考え方を学ぶ時間に振り分ける、つまり自己の成長に使うことでより高付加価値人材として成長することができます。その結果、コストを下げることに向く人材になるかもしれませんし、単価を上げる事に向く人材になるかもしれません。人的リソースの余剰を生む事にやりがいを感じる人材になるかもしれない。それはどれでもいいと思います。優劣も貴賎もないと思います。

あ、働き手が不足する中で、同じ価値をより少人数で提供できる。そんなことを達成できるかもしれませんね。

 

3.

モノやサービスに付加価値をつけて高単価に変える事は、直接的に価値を増やす事につながります。もしくは既存のモノやサービスを作り変えて全く新しい価値を全く新しい金額で販売できるということです。

 

あえて、新しい価値を生む仕事を最後に持ってきた事には意味があります。これは、ステップなんです。

 

3は最も働き方が進んだ企業体(企業そのものもそこで働く人や道具など企業を構成する全ての物事です。)でなければなし得ません。1と2を実行できる企業体でなければなし得ないということです。

 

 

今まさに2025年の崖、DX、ディスラプターなど危機感を持つキーワードがありますが、実は2025年の崖はステップ2を確実になし得ている企業が超えられるものですし、DXは、ステップ1,2,3いずれも適用できるものです。

 

特にディスラプターの……うーん、どストレートに言えば、Amazonの脅威からかメーカーや小売業者が直販を行うようになっていますが、それは実はステップ3をやっている事だよなぁと思います。

ということは、ステップ1と2は胸張って「出来ている」と言えないと真のステップ3には至っていない。

なぜ、メーカーが直販をやることが付加価値をつけている事につながるかというと、例えば、輸送費かかってるでしょ?しかも、ユーザーの手元に届けるという今までにない。

それ、付加価値な訳ですよ。

輸送費をコストと見るか、付加価値と見るか。普通コストと見ると思うんです。違うと思うんです。

サプライチェーンで考えれば、輸送というサプライヤーが参加するわけで、サプライチェーンが増えたんです。それをバリューチェーンに読み替えるとものすごく前向きに考えられる、そう思うんです。

 

何が言いたいかというと、コストダウン、という考え方で仕事しちゃいけない。「闇雲に頑張る」という考え方で仕事しちゃいけない。そう思うんです。

 

Step1.コスト低減活動をしっかりやる。

Step2.サプライチェーンバリューチェーン全体最適を狙って鎖一つ一つに改善を取り入れる目利きができる人材を育てる。

Step3.全ての物事を付加価値と捉えて、見合う付加価値をつけていない鎖は指導して、それでもダメならその鎖は外せばいい(外した分をどう扱うかは企業によります値下げもいいですし、その分懐に入れてもいい)

 

この考え方でバランスをとった仕事をしないとうまいこといかないんじゃないか。

コストではない、付加価値だ。付加価値に見合うコストを達成するためにはどうすればいいのか?それを真剣に考えて実行する。その手段の一つとして、昨今叫ばれているDXが存在するだけなんじゃないかなぁと。

技術ならIoT、AI、ブロックチェーン……ソリューションならkintone、AWS、などなど。。

 

そうしないと次々と人の仕事がなくなる時代になる。そして、人やそういうDXを取り込めない企業は滅びるか、縮小する時代になる。

 

今日ご理解頂きたいことは、コストではなく、付加価値だ、それに見合う活動をしよう。と思える働き方に我々労働者が変わらないといけない。ということです。

 

やるべきことをやる、ではなく、やるべきことをどうやったら適切な価値で行えるのか。それを意識して働きましょう、と言うことです。

 

そう考えて仕事をしている人たちの力になりたい。自分もそう働きたい。そのためにもっと学び、引き出しを増やしたい。

 

そうする事が、この国のこの世の先々を生き続ける子供達のために残せる今を生きる私たち大人の責任ではないかと思っています。

EaaSについて考える

初っ端から引用。

enterprisezine.jp

enterprisezine.jp

 

このお二人の対談は非常に考えさせられます。

ちょっと昔の記事なので、会員登録しないと全文見られませんが。。

 

この対談ではEMSについて述べられています。このEMSを発展させたものがEaaSです。発展させたといっても、EMSをより咀嚼し理解しやすくし、かつ、対象を社内サービスという考え方から組織が他組織へ、または個人が別の個人へサービスを提供するという考え方に変えたものです。なので、本質的には同じ事を言っておりそれを別の切り口から述べたもの、そう解釈しています。

 

さて、本題。

個人的に全ての物事はサービスマネジメントに通じると考えています。何をサービスとするのか、どうサービスにするのか、それに対するコストをどう考えるか。それらを咀嚼し決定したものがサービス憲章(Service Charter)と呼ばれ定義されます。この単位(規模感です)を大きくすれば会社組織になりますし、小さくすればワンチーム、個人になっていきます。

 

今、私が取り組んでいることは、まさしく、チームとしてどのように「定義したサービスやモノ」を提供するのかを考えるのがお仕事です。

 

プロセス改善と言い換えてもいいかもしれません。どのように提供するのか?すなわち、トリガに基づいてプロセスが始まり、最後にアウトプット(提供する価値を体現したサービスやモノ)をどの程度のコスト(金、人、時間)をかけて提供し続けるのか。

 

これが明確になって初めてマトモなサービスが提供できる。

 

小難しいことを言ってますが要は売上原価を決めないとマトモなものは売れないとそう言ってるだけなんです。

 

ここでいう「マトモ」とは目標とする原価を達成して継続的に提供できるサービスにする、ということです。しかもそこには働く人たちの幸せまで入ってる。

儲けるとか相手の要求を満たすだけのサービスを追求するとか高品質なものを提供するということではないです。(とはいえ、赤字続きだったらダメですが)

そうだったら、今の時点でAmazonはこんな企業になってないですし、Googleもそうなってないでしょう。

最初っから目標とする利益を出せません。そもそも何がバズるかわからないんですから。

 

なので、これ(サービスやモノ)をこれぐらい(売上原価)で提供する!と決めてそこに向けて原価を調整する(カイゼン)する。

そうしないと、いわゆる「カイゼン疲れ」を引き起こし終わりがないドロ沼にはまります。

 

実はEMSやEaaSもそうではないかと思っています。例えば社内サービス。儲けは判断できませんが(売上がありませんが)、原価は計算できます。最初は原価でなくても良いです。例えばまずは提供時間から始めてみる。ユーザの満足度を測り適切な時間を決める。その上でそれを提供するのに必要なコストを測り、後は何円で提供するのかを決める。それの計算式を定義して変数を解き明かし、その変数が何なら目標となる原価になるのかを皆で考え進めていく。

そんな方法もありうります。

 

じゃあどうやって適正な売上原価を決められるのかってのは正直わかりません。

 

ですがこれは算数の問題であることだけはわかります。

方程式を構成する四則混合があり、そこに変数が複数あり、解(つまり目標となる原価ですね)が埋まっているただの計算問題です。

要は(x+y-z)/a×b=10みたいなもんです。

売上原価の構成要素は、簡単に一般管理費仕入原価と販促費の集合体と捉えれば。

この時、気をつけなければいけないのは自分たちの給与や仕入れ元の生活です。

社内サービスとは言え、自前主義な事は今の時代ありえませんからパートナー企業あってサービスやモノの製造は成り立ちます。

つまり、「いくら払うべきか」には当然注意を向けるべきですし、サプライチェーン全体を見渡さなければ適正な原価にはなりえないという事です。

先ほどの適当な方程式で言えば、12>x>5みたいな。ここではxをパートナー企業に払う対価と考えていただければ。

 

要は、方程式を定義すると、その変数に対する制約条件をさらに決める必要がある。しかし、これをしようとすると究極の透明性が求められるはずなんです。

つまり……自分たちだけではなくパートナー企業の原価率、利益率をある程度(笑)把握、コントロールする、または究極の信頼性をもって信じるか。

これもトヨタ生産方式で体現されている事ですし、真のDevOpsで言われている事です。ここには究極の透明性が求められます。つまり、目標売上原価を合言葉に、誰がどの変数に責任(アカウンタビリティ)を持ち、チームとして全ての変数を目標に近づける努力をする。そして、それを実現するためには、現地、現物を確実に計測し、現実を可視化する。

 

計測することを怠っては、何も現実がクリアになりません。

 

そして、現実がクリアになれば、自ずと目標との差が見えてくる。

 

個人的には究極の信頼性と透明性を確保する方が将来にわたって盤石なチームになるように思います。

 

誰かが誰かにサービスを提供する。しかし、慈善事業ではないので、飯は食わねばならぬ。ということはサービス提供する側が売上原価と根拠を示す。

 

こういう努力を怠って、やれイノベーションだやれディスラプターの脅威だ、やれ働き方改革だ、とかいっても、誰もついてこないんです。

 

竹槍でB29は落とせません。必要なのは涙ぐましい努力や血と汗(プロジェクトX的な)ではなく、現実的な努力と楽しさなのです。

過去、こういった主張は、戦場の真ん中で「戦争はいけない!やめるんだ!」と叫ぶようなものだと私の主張を全否定された方がいました。

 

まぁ、それはそうです。けれど、その理想を語る努力を怠っては、戦争は終わりません。まずは気がつくことから始めないといけない。自分やチームは誰かにサービスを提供している機能である。そういう気づきから始まり、全体のプロセスを知り、改善へと走る。EaaSはそういう概念だと私は思います。