なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

「自分の理想を体現した国家とはどこだろうか?」と言う問いであった。2 人とも「日本」と答えた。

有名なエスニックジョークの引用です。

 

マルクス科学的社会主義)とケインズケインズ経済学)があの世で出会い、激しい議論を始めた。相反する思想を持った 2 人だが、たった一つだけ結論の一致を見た。それは「自分の理想を体現した国家とはどこだろうか?」と言う問いであった。2 人とも「日本」と答えた。

 

実はFacebookでちょっと働き方について呟いたところ、お友達のみなさんからとてもたくさんコメントをいただきました。

 

今日は、自分の意見と友人のコメントをより咀嚼し、昨今の働き方を少し考えてみたことを綴ってみたいと思いました。

 

また、この記事の草稿を練っていた時、川崎の事件も起きました。私にも子供がおります。ただ、悲しいです。

私の子供を守るためにも、他の子供を守るためにも誰かに届けば良いと思い、僭越ながらしたためております。

 ITSMとは異なる話です。しかし、ITSMはサービスを提供する「働き方」でもあるし、なによりも、一介のサラリーマンとしても、いつか誰かの目にとまり、その方の働き方の一助になればと願いを込めて。

 

本題です。

 

最近、働き方改革が叫ばれ、ITSMの領域でも、それによるサービスの導入(SfBなどのコミュニケーションツールやモバイルの業務活用など)業務時間の削減や把握のために新しいツールを入れる(勤怠管理やロギングツールの導入)など、てんやわんやだったり、果たして意味があるのか、と悩んだらされていらっしゃるのではないでしょうか?

 

もし、これ(管理ツールの導入)に意味はあるのかと悩んでいるなら、その発想は正しいと思います。というか、此の期に及んでそういうことやってる会社に属していて苦しいなら、さっさと転職活動した方がいいです。

 

今時、ロギングツールを入れたり、残業規制をしたりなど、従業員の時間管理をシステマチックにやるという感じで進めてしまう行為は、「ブラックサラリーマン」(企業から給与を搾取しているサラリーマンを揶揄して表現しています)を増やすことにしかなりませんので。

 

これらの施策は端的いえば、

  1. 成長するため、変化に対応するための価値を所属企業に提供しないサラリーマンを基本給に抑える事。簡単に言えば、企業にぶら下がるだけの人の人件費圧縮。
  2. 成長するため、変化に対応するための価値を提供する、または提供しようと多少スマートではなくても努力しているサラリーマンの芽を積む事
  3. 1や2のサラリーマンを「やる気」はなく、業務だけをこなし、これでいいのだと下を向かせてしまう「ブラックサラリーマン」を量産する。

 

この効果しか産まないからです。

 

「やる気」のない奴を締め付け、「やる気」のある奴のモチベーションが下がるような勤怠管理を強制する。誰もハッピーじゃない。

 

結果、ただ、企業に飼われ、飯を食わせてもらうだけのブラックサラリーマンの出来上がりです。丁度面白い記事もありました。

bunshun.jp

 

丹波さんも書かれていますが、長時間働くことが正しいことといいたいわけではないのです。「どう」働くか、「何のために」働くかを、常に問い、そして、孤独ではない状況を作ることが求められています。

 

これからの時代、私はどのような価値を他者(これには家族や企業、組織を含みます)に提供できるんだろうか?を真剣に考え、その対価としてのお金、に変わってきます。

もしかしたら、遠い将来かもしれませんが、対価は、お金ではないかもしれません。まぁ、それは暴論ですかね。いや、すでに家庭において何か価値を提供しているにもかかわらずお金という対価を受けているわけではない訳で、その点、あまり暴論ではないのかもしれません。

 

労働とは、果たして本当に悪いものでしょうか?私はそうは思いません。

 

勿論、多数の労働者の方が同じ考えを持っているとは思いませんが、1日の(最低でも)1/3を費やすこの限られた時間。対価としての給与を得るためだけに費やすのはもったいないと思いませんか?いえ、もったいないと思うべきなのです。そんな時代になったと知るべきなのです。

 

どうせなら、給与以外の価値も受け取りましょう。給与以外の価値を受け取るためには、まず自分が提供できる価値を明確にしないと得られません。

 

これは、ある意味残酷な事実です。

給与のために今まで時間を費やしてきた労働者は、周りに提供できる価値など何もない。内向きなフィードバックサイクルを回し続け、外向けに何ら提供してきていないために、何が価値を持つのか、何が喜ばれるのかもわからない。

 

20代、30代ならまだしも、40代、50代ともなれば、何が喜ばれるのかから探すにしても、役職定年や定年退職を控え、時間がない。

 

ましてや、天下のトヨタ始め、多くの企業で、「もう持たない」と悲鳴を上げ始めています。20代や30代は属す企業がなくなっているリスク、40代や50代はリストラのリスク、60代は再雇用による給与減のリスク、全世代でリスクを抱えているのが今なのではないでしょうか?

 

私の周りで、生き生きと働く一社を勤め上げてきた50代は正直なところごく僅かです。

その僅かな方々は、積極的に社外と関わり、結果、社内でも「余人をもって変え難い」と認定された方ばかりです。

 

この潮流はここ5年で一気に変わってきたように思います。そんな生き生きと働く人が一気に社会に躍り出てきたのは。

 

今から十数年前、新入社員として今の職場に籍を置いた頃、そんなカッコいいサラリーマン、いました。

 

彼らは誰に言われるでもなく外と繋がり、自分が提供できる価値は何なのかと真剣に向き合ってきてました。それは、業務の一環で繋がる場合もありましたし、業務外の場合もありました。

 

分かりやすい例えで話しましょう。

営業職と呼ばれる職務は、業務の一環で外に繋がる最たる職種です。業務として、「何か」を売り、提供し、価値の対価としての料金を受け取る。

 職務上、半ば強制的に外と繋がる。だからこそ、自分が何を提供できるのか、何の価値を付加できるのかを真剣に考える。

 

内勤の方。自ら関与しなければ外と繋がることはできません。しかし、外と繋がることは手段であり、目的ではありません。外と繋がる最大の目的は、「自分が提供できる価値は何かと真剣に向き合うため」です。

 

この目的に照らせば、「内」と「外」がおぼろげながら見えてきます。究極的に言えば、「内」とは自分が受け取る物事の世界であり、「外」とは自分が与える物事の世界です。

 

ただ、残念ながらこれらを真剣に考えず、常に内向きな生活を繰り返しても給与は手に入ります。

 

これがサラリーマンの強みであり弱みです。与えられていることに気がつかずに約40年を過ごすこともできる。貰うだけ貰い、何もできない中高年になっても生きていける手段を得ることもできる。

 

裏返せば、40年間もらえることが確約されるのだから与えることにトライし、失敗しても生活は担保される。

 

どっちにも生きていける。それがサラリーマン。

 

企業は雇用を守る社会主義の歯車ではないのです。

同様に、労働者は、与えられた生活が長く続くよう、与え、与えられる関係を自分たちで作っていかねばなりません。

企業が社会主義の歯車のように雇用を維持するためには、我々労働者が自分たちの持つ資本を武器に価値を提供し続けねばなりません。

自分たちがどんな資本を持っているがわからないですか?だから価値を提供するチャレンジを続けて、失敗から学び自分の持つ資本を学ぶんですよ!他ならぬあなた自身の手で!失敗しても大丈夫。あなたが企業に属するなら、その失敗で生活できなくなることなんか起こりませんから。

 

働き方改革の本質は、労働者が自律し、価値の提供に目覚め、外と繋がる多様な手段を掴み取ることです。

 

その手段は、転職、副業や複業、ボランティアや団体に属すること、団体を始めること、クラウドファウンディング、オンラインサロン、いくらでもあります。

 

では疑問が生まれます。

どこまでが業務で、どこからがこういった時間なのかと。ナンセンスです。公私の境目が生まれるのは、時間で給与が決まるからです。

 

そもそも、前近代的な製造業の時間管理の生産性管理にはどだい無理があります。

1000歩譲って、業務時間とそれ以外には分けられても、では、寝る前、朝起きた後、通勤中に仕事のこと考えませんか?それは業務ではないのですか?

 

全ての時間が業務であり、全ての時間が自分の外に価値を提供するために使う時間なのです。そこに公私はありません。時間で管理して給与を払うって行為そのものが意味がないのです。

 

ただ、それを悪用したブラック企業生活残業を試みるだけのブラック社員がのさばっているのもまた事実。

 

ブラックな労働者は会社に残ってはいけない。会社は箱に過ぎず、システムに過ぎません。セーフティネットとして会社を使うことは許されても、チャレンジをせず、生活を維持するだけのシステムとして使ってはいけません。

 ブラックな会社は労働者を箱に閉じ込めて酷使してはいけない。労働者は本質的には外に出て価値を提供し成長することを生業とする生き物です。箱に閉じ込めて酷使しても生産性は上がらない。

 

最後になりますが、どうか、以下の記事も読んでみてください。

 

president.jp

 

これから先、正解はないのです。重要なのは、外に価値を提供する働き方を通して自分の持つ資本の価値を最大化するための努力を怠らないこと。労働者は、労働力のみが資本の時代ではないこと。

今までの生き方、働き方を続ける上で優しい世界ではなくなってきているということなのです。

極論を言えば、1つの会社、1つの業種、1つの働き方に固執して働くことは、引きこもりと一緒なのです。