なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

読了:「他者と働く」ーハラスメントの考察ー

最初はまたまた本の紹介。

 

ただ、これから突然私の半生を反省する話になります。

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

 

 

いや、かなり目から鱗な本でした。ちなみに序章は無償公開されていたりしますので、是非ご一読を。

 

お断りしておきますが、ハラスメントを容認するものではありません。ハラスメントという傷つき方をなくす方法として考察しています。

 

ザッソウ然り、このナラティブしかり、言われていることをかなり簡潔に書けば、観察・洞察を通して、他者を知りいかに言語外の認知を深めるか。そして、深めた認知に基づき新たなコミュニケーションを模索する。

コミュニケーションは手段の1つであり、目的ではない、ということです。

その手段がザッソウでありナラティブなアプローチなのではないか?それが私の解釈です。

 

私個人の感覚では多様性、ダイバーシティの追求とはある意味ハラスメントを誘発させるものだと思うのです。

何故なら、今までは比較的狭い、ある意味一様なムラ社会で構成されていた企業にとって、言語外の認知は比較的同質な背景をもつ同僚や先輩だったため、あまり重視されませんでした。というか、重視しなくても分かっていたという状態。なので、比較的阿吽の呼吸が伝わりやすく、誤解があってもすぐに解ける、または同質であるが故に誤解も受けにくい。

※何度も書きますが、ハラスメントは誤解によって始まるということが言いたいのではありません。

 

しかし、多様であるという事は、異質な価値観が増えるという事。

その(他人の)価値観に潜む背景や理念、考え方を知る必要があります。それを知らずに(相手から見れば)自分主体のコミュニケーションを取るとそれは、やはりハラスメントになってしまうのではと。

 

つまり、ハラスメント、特に最近定義された新規のハラスメントは、相手の背景や環境を認知しないことによるコミュニケーションロスが大きいのではないかなぁと。

※何度も書きますが、ハラスメントでも相手を傷つける目的を持ってしているものはこれには含まれませんからね。

 

だから、ハラスメントを極度に恐れる必要はないのではと思うのです。社会的信用を失うとか、企業内で糾弾されるとか。そう言う結果に結びつけてハラスメントをしてしまったレッテルを貼ってしまうことはしてはいけないのではないかなと。

 

ハラスメントは悪いことです。ですが、ハラスメントは相手の背景に対する認知不足によるコミュニケーション障害であって、相手を傷つける意図がないと言う前提に立てば、だいぶ気楽になるんじゃないかなぁと。

※しつこいようですが、相手が自分を傷つける意図がないということが前提です。それを意図した言い回しは、完全に断罪されるべきと思います。

 

そして、多様性を受け入れるために気を使いすぎなければいけない状態に置かれている人は辛いし苦しいだろうなぁと。

 

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話は飛びますが、実は夫婦間でも同じことが、また親子間でも同じことが言えるのでは?と思うのです。

親子間は他の関係性と比べると密室のためそれだけ同質化しやすい。核家族の進展以降、父は働き母は専業主婦というよくあるパターンの場合、母親と同質化、一様化してしまうパターンは多いのではと。また、家族も夫婦もそういう同質の中で育って来た場合だと同質であるのが正しいと思い込んでしまう。

今の社会では多様性だダイバーシティーだも言われ、しかし家では一様化が当たり前と言語外の中で認識しあっている場合。そりゃー何事もうまくいかんわと。

まずは自分が認識している一様化を言語化し、自分の中で多様性を捉え直し、頭を切り替えないと。

そういう点では、私はおそらく、妻にハラスメントをまた、妻は妻で私にハラスメントを意図せずしてしてしまっていたんだと思います。お互いの理想の家庭を考えず、夫は、妻はこうあるべき(なぜならそれが自分の価値観だから)となれば、そりゃつらかろうと。相手のためを思ったコミュニケーションであっても傷つけることになろうかと思うのです。

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閑話休題

ちょっと提言したいなぁと思うのですが、組織、特に大企業は性急にダイバーシティを進める必要あるんでしょうか?企業が生き残りをかけて、という意味ではやる意義はありますよ。そういう論調だと思いますし、事実そう進んでいると思ってます。ただ、自分も含め働く人にとって、多分ものすごい痛みを与えることになると思うんです。多様である事を受け入れる事は。

性急に進めるなら、それなりのケアを考えないと折角の人財が疲弊して企業を去ることになるのではないかと。そのケアが、ハラスメントの防止だったりするのでしょうが、ハラスメントの防止に向けた活動って、〇〇するのはハラスメントですよ!とか、それこそあれダメ、これダメ方式な研修だったりして。「じゃあ、何やればいいんだよ」ってなる。まぁ、多様性についていけない人間は切り捨てるという判断もあると思いますが。

大企業は今まで変わる事をあまりせずここまで来た。家庭は旧態依然のままというところも多いのではと思う。実は、企業が変わる事は最終的に家庭にも影響があるんじゃないか?そう思うのです。

別に家庭の事に口を出せと言っているわけではありません。そうではなく「痛みを強いているよな、わかるよ」というサインを送って来たか、と言うことです。それが本質的なハラスメントの防止につながるんじゃないかなぁと。

わかるようになれ!というのは簡単ですが、それをどうすればできるんだよ?がみんな苦しんでるポイントなんじゃ?と思うわけです。

で、あれダメこれダメで手足を縛られた状態で何をしたらいいんだー!と苦しくなる。

 

ライフワークバランスという綺麗事ではなく、言語化したコミュニケーションとして、伝えてきたかと。今まさに働く人が感じている「生きづらさ」の本質を言語化する事。共感するメッセージを伝えること。難しいですが、これが生きづらさを少しでも解消する事につながるんじゃないかなぁと。で、そうすると、徐々にではあるのですが、企業で起こるハラスメントは少なくなっていく。自分の生きづらさを認識し、言語化できれば、なっとくできて、心に余裕が生まれてくる。その余裕が相手の価値観を洞察する習慣になっていくと思うので。

まず第一歩は、心の余裕を生むこと、それには自分の感じる生きづらさと対話する。

 

私にとっては、「一様であること」の潜在意識での思い込みだったように思います。では、貴方は?生きづらさを感じている人がいれば、是非心の棚卸しをしていただきたいと思います。