なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

合理化と高度化

こんにちは。

 

今日の発想のヒントになったのは、この東洋経済さんの記事。

 

toyokeizai.net 

いきなり余談に飛びますが、東洋経済さんの記事って不思議というか目の付け所が面白いというか、ゴシップと気づきのちょうど間ぐらいのポイント攻めてきまよね。

 

そして、この記事に基づいて考察したいのがこの記事。

delete-all.hatenablog.com

 

凄いタイトルです。RPA化が人権意識で吹っ飛ぶ?普通に考えるとありえないと思うのですが。。

 

この二つの記事を読んで考えたことは、RPAに取り組みたい人と取り組みたくない人は、この合理化と高度化の定義がズレてるんじゃないかなぁと。そして、両者思い込みがすごく深いんじゃないかと。

 

私自身は、このRPAに関して賛成派な人ですし、それによりRPA化される業務をやってきた人達に高度化も達成して欲しいと思う人です。つまり、この記事を書かれた人と同じ考え方の人です。

 

この件を語る前に、一つ理解いただきたいのですが、合理化とは、簡単に言えば「人の手作業を省力化し、人を労働から解放する事」です。

高度化とは、端的に言えば「おもてなし」です。もっと言うと、次の作業者の為にアウトプットを整える事です。

私の信奉するトヨタ生産方式で言えば、後続の作業者のために必要な物を必要な時に必要なだけ提供することに心を砕くこと。

または、EaaSの考え方に従えば、自分の仕事の成果を受け取る次の人をお客様と捉え、お客様に喜ばれることをする事。

つまり、バリューチェーンの発想で物事を捉え、より高度にこなす事。これが高度化です。

労働者を今までの「こなす」労働から解放する合理化を追求し、開放されたリソースを高度化に充てる事でより良い働く環境を作ろう、これが今の労働者がなさねばならないことではないかなと。働き方3.0がこれなんじゃないか。

 

では、その定義に立った時、この東洋経済さんの記事は、まさしくそれを述べている。仕事の高度化に集中する為に合理化を推進すると。

 

しかしながら、RPA化に反対する人たちは、こなす労働の上に成り立つ高度化に価値があると述べ、その価値を認めてくれ!と言っている。

 

一言でぶった斬れば、残念ですね。

 

確かに、伝票のそろえ方一つにも次の作業者に喜ばれる揃え方はあると思います。ただ、それは、非常に狭い高度化です。確かに目の前にいる次の作業者には喜ばれる。しかし、今目指さなければいけない高度化というのは、そういうことじゃない。

IT技術の進展により、目の前の人を喜ばせる高度化は価値がそこまで高くないものになり、価値が高い、つまり企業内で本質的に喜ばれることは、バリューチェーン上の次の作業者、つまり、顔の見えない別組織を喜ばせる高度化だと思います。

 

そして、それを知るためには、バリューチェーンとは何か、合理化と高度化を両立させることとは何か、仕事の流れ全体を俯瞰して自分の仕事は何かを考えるなどの時間と頭と学びが必要になります。

 このRPAの記事の方は、学ぶ時間に充ててくれと言うことを伝えていないし、RPA反対派の方々は学ぶ時間を捻出するための事なのだと思ってない。暇になったら学べ、暇を作って学べ。そう言う前向きな話になっていない。

人権などという、ものすごく正論に見えることにフォーカスし、改善を停滞させる。実際のところ、自分たちがものすごく低い視座で物事を見ているだけなのに。

ストレートに書けば、視座が低い自分達の面倒を見ないのは人権侵害だ!と明後日なことを堂々と主張してしまう。

小説で恐縮ですが、改善に至れないこういう人たちをストーリーではどうしたか。

The DevOps 逆転だ!究極の継続的デリバリー

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ザ・ゴールドマイン 金脈が眠る工場 小説トヨタ生産方式

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 ほとんどの人は変わっていきます。その中でも変われなかった人は、自分で去った場合もあれば、首を切られた場合もありましたが、要は表舞台からは消えていきました。

別に辞めさせろと言いたいわけではないです。今までとは異なる高度化が求められる時代にあって、どうやってその高度化を達成するかに頭を使うのか。それが出来ない人は一定数いて、そんな人にはそれ相応の生き方をしてもらわねばならない。ただ、それが辞めてもらうことが唯一の正解だとは思えないですが。

合理化と高度化。 実は皆やっている。けど、特に今の時代求められる高度化を達成するためには、知ろうとすることが必要で、その為には勉強しなきゃいけない。

 

勉強する事も仕事である。そうなればいいなと思う。

知識を仕入れ、ビジネスの全体を俯瞰し、バリューチェーンの流れを見極め、自分の次の作業者は誰か?何を望んでいるか?これも実は仕事だし、これが今の時代のサラリーマンの勉強なんじゃないのかなぁと。

勉強する時間を作らず、ただ、こなすことに集中する時代ではないのではないか?

仕事の時間を減らし、学ぶ時間を増やす事。それが大事なのではないかなぁと。

ただ、やはり雇用の保障や、給与の安定を念書にしちゃいたい気持ちはわかる。それに寄り添いつつも、でも、やっぱり求められる働き方が変わっていることにどう気が付くべきなのか。。難しいし悩ましいな。