なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

エネルギーという最古の仮想化から見るクラウド業界(1/3)

ご無沙汰しております。

 

実は引っ越しをしまして。都内から若干郊外へ。仕事場までは遠くなり、家事に充てる時間や働き方も見直さなければならない事態になりました。まぁ、それ以外にも、ゴニョゴニョとありまして。。それは後半へでも。。

 

妻とも相談し、家事に充てる時間を見直しつつも生活を担保するため、家電を追加していっています。

 

で、便利になる我が家を見ていて、ふと、今回のタイトルを思いついた次第。

電力ってエネルギーの仮想化だよなーと。そして、これ、クラウドと似てるなーと。

 

で、そうとらえると、私が知る限りのユーザ企業の事例がひどくないかなぁと。

 

大袈裟なことを言うつもりはないのですが、ちょっと解説すると・・・。

我々人類は簡潔に言えば様々なものからエネルギーを生み出しそのエネルギーを使う事で生活をしています。

 

例えば、

  • 灯油を燃やして暖をとる。
  • ガスに火をつけて調理をする。
  • ガソリンを燃やし、移動する。
  • 電気を使って温める、照らす。

とか。

要は、エネルギーを取り出して、ナニガシかに利用することで我々は自分のエネルギーを使わずに、手間を省き過ごすことができる。便利ってことです。

ここで話を簡単にするために、自宅で使う代表的なエネルギー源、ガスと電気に話を絞ります。ガスは、熱エネルギーとして威力を発揮します。温める、沸かすなど。対して電気は、照らす、冷やす、温める、沸かす、燃やすなどなど。

要は電気は純エネルギーとして様々な形に再利用しやすく、ガスは熱エネルギー特化型と言えます。

 純粋なエネルギーとして生成されて持ち運びに耐えうるインフラがあると、使いたい時に使いたい分だけ利用できる。

なんか、これっていわゆるクラウドと似てるなーと思ったわけです。

 

ユーザは目的に合わせてエネルギーを使い分ける。ただ、使い分けるためには、どのように使えるのかを知る必要がある。

 

クラウドにせよ、電力にせよ、使うユーザに求められるのは高いリテラシー、別の言い方をすれば、「学ぶ力」では無いかなぁと。

 

自分の生活のどこに課題があり、それを解決するために、何をどう使うのかを探し、学び、取り込む力。

 

電気圧力鍋を例にすると。

暖かい煮物、鍋物、スープ類を食べたいと思う時に単純に鍋で煮るってのは、今までのライフスタイルなら出来ても、今のように職場まで遠くなり、共働きで子供がいるとなるとどう足掻いても無理なんですよ。それを解決しようとすると家事を家電とシェア(パナソニックでしたっけ?)するか、家に張り付ける休日にまとめて作るとか、そもそも温かいものを食べないとか、そういう発想にならないと無理です。

 

ましてや、学んだり、思索にふけるなんてのも人生にとっては大事。家事に充てる時間は可能な限り効率化しないとQOLを担保した生活はできない。外注(外食、出来合)もありですが。

 

電気というエネルギーを生活の目的に合わせて使い分けるという行為と、事業の目的に合わせてスケーリングを行い機能を組み合わせるクラウドは、ある意味同じだと思うし、今のクラウド、特にAWSやOCP、Azureなんかを見ていると、家電なんかよりよっぽど進んだ売り方をしているように思います。

 

しかしながら、多くのユーザ企業……特に大手企業は、学ぶ力を放棄し、学んだ人の力を札束で叩くような使い方をしている例が非常に多い。

これは、電気エネルギーを目的に合わせて使いたいから、家電を見繕ってくれ!と言っているようで。

見繕うことも仕事として成り立つからいいのかもしれないけど、本来は、どの家電をどう使うのかってのは、ユーザが考えて使うものなんじゃないかなぁと。極論すれば、学ぶ姿勢の放棄にも見えるのです。家電を選べないほど忙しいっておかしく無い?と。

ましてや、その家電が目的と異なるアウトプットを出した、ということになると。

通常は、どう使い方を変えよう?と考えるはずが、どうにかしろ!と選定してくれた人を叩く。これっておかしくないかなーと。

 

自分のことになると解決しようと必死になって考え、手を動かし、使えるようにするのに。

 

AWSとか、OCPとか、Azureなんてものは、電力と家電がセットになったものなんじゃなかろうか?と思うわけですが、そう考えると、なんでこう……考えようとしないのかなと思います。

※考えて自分たちで同行しようとしている人たちもいますので、一概にそういうわけではないと思います。