なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

デジタルデバイド(情報格差)を感じた日と日本の教育についての雑記

こんにちは。本日は、ふと、これ怖いな、と思った話です。読んで欲しい方は、子供に関わる大人(親含む)及び地方在住者。

 

 

筆者は、関東圏の政令指定都市在住です。このコロナの後押しもあり、通常は(今でも)在宅勤務、仕事柄ITサービスマネジメントを扱うため、可能な限りエンドユーザ向けの便利サービスは一度は使う、がモットーです。全てにおいて、、、とは思いませんが、デジタル、およびテクノロジーについては、アーリーアダプターかなと思っています。

※参考:アーリーアダプターとは|市場調査・アンケート調査のマクロミル

自分の周囲を見ても、電車に乗る時や街をすれ違う際にウェアラブル端末で決済する人は普通に見かけます。いわゆるタッチ決済ですね。その反面、最寄り駅そばの商店街では、アシスティブタッチを使ってApple Watchに忍ばせたクレジットカードで決済すると驚かれることもありました。(過去形)

財布に現金がなくても気にしません。現金が必要なイベント、突発的に現金が必要になった場合は、近くのセブンイレブンに立ち寄ってQRコード取引で現金を引き出します。(キャッシュカードも持ち歩かない)

イベントもいわゆるWeb会議ツール(ZOOMやTeams、Google Meet)が併用されていることが最近は多いので、よっぽど興味があるものは現地に赴きますが、お試し程度であれば、オンラインで参加します。

電車も飛行機も新幹線も大体ウェアラブル端末のSuicaまたは電子チケットで乗ってしまうため、基本的に物理的な「券」を利用することがこの3年間ありませんでした。なんなら、レンタカーすら、カーシェア&スマホ開錠なので、車移動についてもスマホ以外手ぶらです。

そんな生活ですが、直近6ヶ月以内に2度、地方に所用ありお出かけしました。

 

1つ目の事例。名古屋市から1時間程度バス移動した某市にて。手持ちの電子決済が全て使えませんでした。名古屋市から移動するために乗ったバスから使えませんでした。クレカのタッチ決済はもちろん、Suicaもダメ。iD/QuicPay+もダメ。そして現地でも苦戦します。コンビニはもちろんあり、そこは問題なくいつものオペレーションで支払いできたのですが、その他のお店及び目的地を含めて現金のみ。現地に到着してすぐに実行したのは現金調達でした。全国にあるセブンイレブンでよかった。

そして帰り。帰りはローカル鉄道で名古屋まで向かいました。そのローカル鉄道は、VISAのタッチ決済が使えるようでした。安心していたのですが、なぜか決済できない。最終的には、原因不明で現金で払いました。(運転士さんがオペレーションできなかった)

つまり、私は名古屋駅からその日のイベントの全てにおいて、キャッシュレスを使えなかった。これをITIL4のカスタマジャーニーで分析しても面白いのですが、今日の主題ではない為、割愛。

 

2つ目の事例。関東の地方市に所用でおでかけ。概ね都内の駅からJRの快速で1時間程度かかる地方だと思ってください。もちろん、JR東日本の範囲ですし、都内への通勤圏内ではあるので、決済や移動で困ることはありませんでした。

しかし、待ち合わせのためぼーっと改札を眺めていて気がついたのですが、どの方も改札を「財布でタッチ」していました。ウェアラブル端末でタッチしている人が一人もいない。その時間概ね30分ぐらいだったのですが、一人としていませんでした。もちろん休日なのでヘビーユーザ(通勤通学)がいないということはあると思います。それにしても一人としていない。

もちろん駅前のコンビニも同様です。電子決済音は全く聞こえない。ファストフードでは、モバイルオーダーの注文が入っていませんでした。

 

これは、「地方が遅れている」ということをディスりたいのではありません。デジタルデバイドが始まっているということをお伝えしたいのです。

デジタル化を行わなくても経済が回り生活に困っていないために、デジタル化が進んでいない。

1例目は、そもそも基盤も人材も整っていない事例。

2例目は、基盤があるけれどオペレーションする必要がないため、ユーザが育たない。

この2つの事例でわかることは、都内及び一定以上の政令市では周りの大人たちが平気で行っているデジタル取引を地方市の子供達は見ずに過ごすということを示しています。これから生まれるであろう新しいデジタルデバイスを見たところで、ピンとこない子供を産むということなんです。幼い頃からデジタルデバイスに囲まれ、それを使う大人やそれで遊んでいる大人を見ている子供は直感的に操作を理解し、さらに発展させるための素養を身につけるにもかかわらず、それに触れたこともないまま成人を迎える子供もいるという事態を生む。

結果、都内及び一定以上の政令市とそれ以外の地方でデジタルデバイド(情報格差)を引き起こす。これを一番懸念しています。

小さい時から電子決済を見て自分たちも体感することができる子供と電子決済を一定年齢以上になってから初めて接する子供。これにより、デジタルデバイスを扱ってきた経験、見てきた経験に崖が生まれます。日本は、2050年をターゲットに、中核を担うメガリージョン、高次地方都市連合、小さい拠点の大きく3つに分かれた対流型国土の形成を掲げています。(詳細は、国土計画:「国土のグランドデザイン2050 ~対流促進型国土の形成~」 - 国土交通省)これを考えた際、メガリージョンと高次地方都市連合と小さい拠点の3つでデジタルデバイドが起きてしまっていては対流のしようがありません。そこには崖があり、私自身が1例目で感じたシームレスではない移動体験を生み、小さい拠点に人材を呼び込むことができなくなる。対流できないということになります。

逆パターンでは、現金による資産の可視化、使える金額の可視化になんの疑問も持たないまま育ってしまうことにより、デジタル化による可視化ができず、使い過ぎや詐欺に遭う。簡単に言えば、小さい拠点からメガリージョンに対流しようとした時に、上京してそのスピードと欲に飲まれる、リボ破産にあうみたいなことを懸念してます。

 

2050年まで後27年を切りました。読み書き算盤だけが基本的なスキルである時代は終わり、デジタル(情報)とお金との接し方、つまり金融リテラシー(家庭科 *1 )が加わる時代になりました。まだ27年あります。国土交通省の提唱した対流型国土に向けた教育やインフラの土台は着々と整えられている。むしろメガリージョンとなる地域はものすごい勢い(特に東京圏)でデジタル化されて行っている。今、我々大人は、その土台をより強固にすることが本来の役割ではないかなと思うのです。デジタルと金融リテラシーが読み書き算盤と同じラインにたった今、少しでも2050年の未来に向けてできることを様々なレイヤの人たちが実現できるように努力したいですね。

人口が減っていくことが明らかな日本において、残された人間だけでどうやって今の水準を維持、または発展させていくかに焦点を当てていく必要があります。つまり、今までは人力と根性と努力で回ってきたような部分をすべからくBPR(Business Process Restructreing)してゆくということです。デジタルも金融リテラシーもBPRを進めていくための武器なのです。働く人が2割減るなら、10人で行う作業を8人以下で行えるようにしないといけない。それが仕事になります。AIに仕事が奪われるとか騒いでいる場合じゃない。AIに作業を奪ってもらわないと、自動運転技術に作業を奪ってもらわないと、ドローンに点検作業や配達作業を奪ってもらわないと日本が回らなくなるんです。お金の管理作業はデジタルに奪ってもらわないとやりたいことができなくなるんです。

その危機意識を我々大人はもたねばらなないし、子供達に日本が残せないのだと認識しなければならないと思います。

*1:超絶疑問なんですが、なんで金融教育が投資教育に制限され、かつ家庭科になったんでしょうね?正直社会科でもよかった気がするのですが。範囲が広すぎるか……