なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

ある意味、自分の悩みの解

こんにちは。

 

blog.tinect.jp

 

タイトルがちと過激なのですが。中身は過激と言うよりも、個人的には癒しに溢れているなと思います。

どんどん働いて、もっともっと稼ぎたい、自己実現したい、という人がいる一方で

「仕事は好きじゃないけど、食べていくにはしょうがない。できるだけ面倒くさくない仕事を短い時間やって、自分で好きなことができる時間をたくさんつくりたいなあ。そんなに稼げなくても、偉くなれなくてもいいから」

っていう人も、大勢いるはずです。

 

判断に分かれるところはあると思うのですが、これ、いい言葉だなーと思うのです。

 

というのも、今までの年功序列も終身雇用も、みんな十把一絡げに何も考えず粛々と頑張れば、ある人は満足いく生活を、大多数は過分な生活を、ごく一部の人は不満な生活を送れた。

 

日本の雇用システムは、右肩上がりの成長もあって成果の再配分がうまく機能し、そのなかでより自分の実を求める場合、社内競争に勝ち抜き偉くなる。偉くなった対価として(大多数の人たちよりも)高い報酬を得る。

 

しかし、今は時代も変わり、成果の再配分は非常に難しくなり始めた。

さらに言えば、業務を遂行する人たちに求められる水準も高くなった。

それこそ、今働いている世代なんてのは、OJTは言葉としてやっていたとしても、「外に出て学ぶ」、つまり、学生時代のように座学・またはワイガヤで議論するなんて経験をしていない。そんな中で、業務を遂行する水準が上がったから学んでください。スキルを持ってください、フレームワークを学んでください、貢献してください。というのは、やっぱり難しいと思います。

(仮に4大卒で40歳だった場合)23歳~40歳までの17年間、何を学んだかを明確に言語化して言えるような経験(振り返り)をしてきていないのではないかと思うのです。

 

学校という定義を明確にすると、学びと共に試験という一定の結果と振り返りを行う場としています。

 しかも、世界は変わってるんです。新しいサービスが生まれ、新しい技術も生まれた。今までの自分の知識や経験を振り返ってアップデートする必要がある。

 今、転職市場が活況なのは、この「学びと振り返り」をする場が転職市場だからではないかなと。

 

もっと言えば、学びと振り返りを意識してすることができれば、「どんどん働いて、もっともっと稼ぎたい、自己実現したい」層で働きたい人はそうなれるんじゃないかなと。

 

と、同時に、「できるだけ面倒くさくない仕事を短い時間やって、自分で好きなことができる時間をたくさんつくりたいなあ。」と思う層は、それを宣言して、そういう仕事をすればいい。

 

重要なことは、それをちゃんと主張できているか、周りや自分は理解しているか、そういう両者がバランスをとった働き方をできているか。システム(ITというよりも、仕組み、制度)はそれに対応しているか。そこかなと。

 

平等と公平の違いを認識し、どちらの働き方にも貴賎はなく、どちらの働き方も受け入れる。人間ですから、様々な事情で「働きたい」と思える時期と「面倒なことをやりたくない」時期もあると思います。どっちかに固定化せず、ただ、ちゃんとどっちにもパスがあるシステムになれば、今の大企業でもある程度不満はたまらないんじゃないかなーと。

 

自己実現とたくさん稼ぎたいが一致していないとなかなか力が発揮できない世の中で、稼ぎ方と自己実現が乖離すると途端に仕事がしづらくなるのはちと違うんじゃないかなぁと。

 

これは貴賎の話をしているのではなく、主義の話です。そういう人もいる、こういう人もいる。というだけの話。

ただ、どのような主義の人に、どのような仕事を任せようとしているのか。それを少なくとも当事者同士はわかっていないと伝わらない。前職で(実際のところ書類上ではまだ退職してないですが)このズレを認識するような経験をしたのですが、この記事を見て腑に落ちました。

 

仕事(成果の再配分=「給与」を受け取る主たる所属元)を通じた自己実現と成長を願うのであれば、そういう働き方をすればいい。そして、そのトップラインの成長やボトムラインの低減結果に基づき成果の再配分を要求する。

 

仕事以外の場(成果の再配分=「食うための糧」を受け取る主たる所属元以外)で自己実現を願うのであれば、そのように働く。ただし、そう働けるように環境を整えることを要求するし、任された仕事がそうではなかったら拒否するぐらいのことをしなければならないのかなぁと。これはきっとわがままじゃない。業務の依頼側と業務の受付側の期待度がズレてるだけです。

冒頭のリンクの「低スペックの人でもこなせる仕事」というのは結構誤解を生む表現で、真意は「誰にでも再現可能な単位の業務設計にする」ということなんだろうなと。

 

働き方改革の一つの解として、誰にでも再現可能な単位の業務に置き直す事も、一つの働き方改革なのかなーと。

 

IT化、システム化と言いますが、そういう大層なもんじゃない。IT化システム化というのは、誰にでも再現可能な単位に業務を切り出す手段であって、目的じゃないのかもなーと。

エネルギーという最古の仮想化から生き方を考える(3/3)

こっちは、さらに発展して変わっていく世界でどう生きていくのかを考える記事。

 

家電を使いこなすことから考えたクラウド業界の問題点の提起は、こちらから。

 

agile-beginners.hatenablog.com

 

家電の世界で起きる変化を考えた記事はこっち

 

agile-beginners.hatenablog.com

 

毎回話が取っ散らかる私の記事ですが、なんでエネルギーから家電・クラウド・そして働き方生き方まで話が及ぶのか……。

自分でもよくわかりませんが。 

変わりゆく世界の中で、自分たち人間がより豊かに生活(物質的というよりも心理的に)するかといわれると、それは各々が以下の軸のどっちよりなのか?によって変わると思うのです。

  • サービスの受益者として別のサービスを作り出す生き方
  • サービスのモジュールを作り出すという生き方
  • サービスのプラットフォーマーの一員として生きる生き方

いずれも優劣ありますし、いずれも好き嫌いがあるでしょう。

 

大切なことは、ある程度までは、固定化しても、究極的には固定化しない・こだわらないということかなと。

例えば、

私事で恐縮ですが、私は今月末で新卒以来務めた今の企業を退社します。というか最終出社日は本日なのですが。。

 

ただ、私個人としては、サービスのプラットフォーマーの一員として生きる生き方のうち、何のサービスかを変えただけだと思っています。

入社当初は営業として、自社の製品(プラットフォーム)を使ってお客様やお取引先様にとっての価値を提供するサービスを売っていた。

その後、製造業の情報システム部員としてエンタープライズITというプラットフォーム上で社内向けサービスを提供する一員でした。

これからは、製造業に限らず、エンタープライズITというプラットフォームそのものをより高度にシンプルに提供するというサービスを提供する一員になります。(といいつつ、運用ではないというのが面白いところです)

このように、大きく分ければ3つの生き方ですが、各々の軸で何をどう提供するのか?ということを組み合わせると、自分は何者で何をしようとしているのか、ということは無限大です。

 

軸は3つ、だけど、こだわらない。

大事なことは、自分がやり切ったと思うまで、決めた軸と手段でやってみることではないかなと。

 

有料会員しか読めませんが、以下の記事もそれを後押ししてくれていると思っています。

tech.nikkeibp.co.jp

 

後は、この本でしょうか?

 

折れる力 流されてうまくいく仕事の流儀 (SB新書)

折れる力 流されてうまくいく仕事の流儀 (SB新書)

 

 

何に折れるのか、何に折れないで自分の軸を貫くのか。

難しいですね。近視眼になればなるほど固着化してしまい、自分が自由になれない。

 

軸を定め、自由な発想で自由に働くこと。これが本質的な意味での働き方改革の帰着点なのかもしれません。当社は、我が社は、とこだわるのもいいですが、そもそも、私たちは何を提供するために働いて・・・いえ、「生きて」いるのか?上も下もそれを真剣に考えて、何を持って誰に貢献するのか?それを考えて働く時期なんじゃなかろうか?そんなことを考えました。

 

今の上司に言われたことですが、この世には、「やらなきゃいけないこと」「やりたいこと」「やれること」の3つのベクトルがあると。

 

個人的には、この「やらなきゃいけないこと」で「やれること」にカテゴライズされるベクトルに向くものを自働化したい。なぜなら、誰もやりたくないものだからです。できる人がやっているけど、できる人はやりたいことではない。そんな業務はシステムに押し付け、エラーが出たら止まる。そんな仕組みにすればいい。

 

そして、こうも思う。やらなきゃいけないことは本当にやらなきゃいけないことなのか。本当は、やらなくてもいいことなのかもしれない。

やらなきゃいけないのは思い込みであって、本来的にはやらなくてもいいことなのかもしれない。それは、沢渡あまねさんの言う「仕事ごっこ」に似たものです。

 

仕事ごっこ ~その“あたりまえ"、いまどき必要ですか?

仕事ごっこ ~その“あたりまえ"、いまどき必要ですか?

 

 

仕事の定義を変えたいなと思います。仕事とは、給与をもらうことではなく、誰かに価値を提供すること。そうなるとうれしいなぁ。

 

それに最短距離で進むこと。もちろん、最初からは最短距離にはならない。だから、アジリティを持って、変える勇気を持って、どうやったら、手持ちのカードで少しでも早く、確実に価値提供に至るのか。それを考えそれを実行するチームになりたいなと思う。

エネルギーという最古の仮想化から見る家電業界(2/3)

こっちは、エネルギーを軸にしてみた時に考える家電業界で考えたこと。

 

家電を使いこなすことから考えたクラウド(を使う)業界の問題点の提起は、こちらから。

 

agile-beginners.hatenablog.com

 

さて、電力を使う家電、特に調理家電の場合、予約や自動調理などの機能により、その場にいなくても料理を作ってくれる。これが調理家電の素晴らしいこと。その間、自分が価値に思う他のことに時間を割り当てられる。

 

例えば、我が家で増えた便利家電に電気圧力鍋があります。

そもそも圧力鍋そのものが時短になる超絶便利な調理器具なのですが、通常のガス(火)で使う圧力鍋の場合、百歩譲って他の家事はできても、火をつけたまま外出するなんてことはできません。しかし、電気圧力鍋の場合、何時に終わるか?をセットすれば後は気にせず外出することもできます。

 

電気を使う方が、(エネルギー効率などの差はありますが)圧倒的に便利だなと。

 

ガスは不要、なんてことを言いたいわけではなく、電力を使うとエネルギーを目的に合わせて使い分けができ、かつ、家事を(機械と)シェアできる。それが言いたい。

 

電力という純エネルギーに加工し使用場所に運ぶ事で、後はユーザの思うように使い分けができる。これって要はクラウドだよなぁと。

前回は、ここからクラウドの使い方と使われ方で課題感を書いたわけですが、今回は、家電の方。

 

エネルギーという仮想化基盤の上で生活をより便利にする能力を持つものが家電。そう定義してみると、家電業界がこれから作り出すものって、きっと家電製品じゃないな、と思うのです。

家電は家事を代替する何かという観点に立つと、サブスクとかなんとかとか様々な売り方を模索されていますが、こういう売り方に固執する限り、家電業界はもうしばらく苦しい時代になるかもなぁと。

「家電は家事を代替する何か」なんだとすると、もう少しは自動化や省エネなんかでモジュールの完成度を競ってもまだなんとかなりますが、そのもう少しが終わると家電に限らず製造業は冬の時代かなぁ?と。作ることがゴールではなく、作った後、お客様がどう使い、どう効用を得るか、が家電メーカーのゴールに変わるので。

 

電力というプラットフォームで生活を便利にするサービス(顧客に価値を提供する)のサービス提供者。それが家電の未来だと思うし、そうシフトすると、今の家電メーカーの生産方法は総じてサービスを提供するモジュールメーカーに変化します。

より高度なモジュールに特化するか、手ごろな目的特化のモジュールを作る一員となるか、はたまた、自分たちがモジュールからサービスまでを一気通貫に提供する企業になるか。ただ、これだけは、要はAppleAmazonになりますけど。

 で、たぶんなんですが、これから先、大規模製造業はすたれていくんだろうなぁと思うんです。

ちょうどこの記事を書いているときに、この記事が飛び込んできました。

diamond.jp

この記事の4P目に面白い表現があるんです。

大手家電メーカーは100人のうち90人に満足してもらう製品を出そうと思い、いろんな機能を切り離せないのでしょう。アイリスオーヤマは100人のうち5人が買ってくれたら、「それでいいじゃん」と。規模を追わない。自分たちの“値ごろ感”と“感覚”で、家電に付ける機能を取捨選択します。

5人に価値を届ければいいというこの発想。そうすれば確かに機能は絞れるし、結果、スピードも効率も上がるという。ついでにモジュールのコストも下がる。アイリスオーヤマの進め方がいいというわけではなく、アイリスオーヤマの進め方も許容される業界になってきているんだなぁと。

 

しかし、これ、別の観点から見ると、我々ユーザにも難しい課題を突き付けている。 

なぜなら、我々ユーザもどのようなサービスがほしいのかを明確にしないとちゃんとしたサービスは受けられないということです。これらモジュールを買うお金、維持するための電力を使うお金も有限です。つまり、失敗した買い物をするとQOLは下がるということ。何かを切り詰めることになる。本当に切り詰めてはいけない物を切り詰めてしまうと、途端に苦しい日々を送ったり、無理な生活を続けていくことになる。

 

とはいえ、難しくても、大変な時代だとは思いません。現に私たちは使いこなしている。馬が自動車になっても使いこなして運転してます。飛行機や電車は対価を払い乗りこなしている。私たちは技術とその技術の産物から生まれたサービスを使いこなしている。

 

だから、たとえば、企業ではない私たち個人もモジュールを組み合わせたサービス提供者になれるチャンスもあるし、逆に、そうやって生まれたサービスの受益者になることもできる。

ちょうど話として出まくっているので家事の話をすると、家事は家族へのサービス提供であって、家電はサービス提供のモジュールに過ぎません。家事という家族へのサービスを提供するにあたって、家電というモジュールをどう自分たちの家庭に組み入れるのか?そういう観点で物を買わないといけない時代になってきた。

 

ちょっと前まではモジュールの使い手は「専業主婦」が主流だったので、モジュールがめざすのは主婦が使いやすい家電だったんですが、

今はそうではない。CM見てても父母や子供と並んで料理するシーンが増えたように思う。じゃあ家の構造はどうか?そもそも、家ってそんな簡単に作り替えられるっけ?とか。色々疑問がつきません。

 

 ……ちょっと話が家電からそれてしまったので、改めて第三回目にこのあたりの生き方は書きたいと思います。

 

エネルギーという最古の仮想化から見るクラウド業界(1/3)

ご無沙汰しております。

 

実は引っ越しをしまして。都内から若干郊外へ。仕事場までは遠くなり、家事に充てる時間や働き方も見直さなければならない事態になりました。まぁ、それ以外にも、ゴニョゴニョとありまして。。それは後半へでも。。

 

妻とも相談し、家事に充てる時間を見直しつつも生活を担保するため、家電を追加していっています。

 

で、便利になる我が家を見ていて、ふと、今回のタイトルを思いついた次第。

電力ってエネルギーの仮想化だよなーと。そして、これ、クラウドと似てるなーと。

 

で、そうとらえると、私が知る限りのユーザ企業の事例がひどくないかなぁと。

 

大袈裟なことを言うつもりはないのですが、ちょっと解説すると・・・。

我々人類は簡潔に言えば様々なものからエネルギーを生み出しそのエネルギーを使う事で生活をしています。

 

例えば、

  • 灯油を燃やして暖をとる。
  • ガスに火をつけて調理をする。
  • ガソリンを燃やし、移動する。
  • 電気を使って温める、照らす。

とか。

要は、エネルギーを取り出して、ナニガシかに利用することで我々は自分のエネルギーを使わずに、手間を省き過ごすことができる。便利ってことです。

ここで話を簡単にするために、自宅で使う代表的なエネルギー源、ガスと電気に話を絞ります。ガスは、熱エネルギーとして威力を発揮します。温める、沸かすなど。対して電気は、照らす、冷やす、温める、沸かす、燃やすなどなど。

要は電気は純エネルギーとして様々な形に再利用しやすく、ガスは熱エネルギー特化型と言えます。

 純粋なエネルギーとして生成されて持ち運びに耐えうるインフラがあると、使いたい時に使いたい分だけ利用できる。

なんか、これっていわゆるクラウドと似てるなーと思ったわけです。

 

ユーザは目的に合わせてエネルギーを使い分ける。ただ、使い分けるためには、どのように使えるのかを知る必要がある。

 

クラウドにせよ、電力にせよ、使うユーザに求められるのは高いリテラシー、別の言い方をすれば、「学ぶ力」では無いかなぁと。

 

自分の生活のどこに課題があり、それを解決するために、何をどう使うのかを探し、学び、取り込む力。

 

電気圧力鍋を例にすると。

暖かい煮物、鍋物、スープ類を食べたいと思う時に単純に鍋で煮るってのは、今までのライフスタイルなら出来ても、今のように職場まで遠くなり、共働きで子供がいるとなるとどう足掻いても無理なんですよ。それを解決しようとすると家事を家電とシェア(パナソニックでしたっけ?)するか、家に張り付ける休日にまとめて作るとか、そもそも温かいものを食べないとか、そういう発想にならないと無理です。

 

ましてや、学んだり、思索にふけるなんてのも人生にとっては大事。家事に充てる時間は可能な限り効率化しないとQOLを担保した生活はできない。外注(外食、出来合)もありですが。

 

電気というエネルギーを生活の目的に合わせて使い分けるという行為と、事業の目的に合わせてスケーリングを行い機能を組み合わせるクラウドは、ある意味同じだと思うし、今のクラウド、特にAWSやOCP、Azureなんかを見ていると、家電なんかよりよっぽど進んだ売り方をしているように思います。

 

しかしながら、多くのユーザ企業……特に大手企業は、学ぶ力を放棄し、学んだ人の力を札束で叩くような使い方をしている例が非常に多い。

これは、電気エネルギーを目的に合わせて使いたいから、家電を見繕ってくれ!と言っているようで。

見繕うことも仕事として成り立つからいいのかもしれないけど、本来は、どの家電をどう使うのかってのは、ユーザが考えて使うものなんじゃないかなぁと。極論すれば、学ぶ姿勢の放棄にも見えるのです。家電を選べないほど忙しいっておかしく無い?と。

ましてや、その家電が目的と異なるアウトプットを出した、ということになると。

通常は、どう使い方を変えよう?と考えるはずが、どうにかしろ!と選定してくれた人を叩く。これっておかしくないかなーと。

 

自分のことになると解決しようと必死になって考え、手を動かし、使えるようにするのに。

 

AWSとか、OCPとか、Azureなんてものは、電力と家電がセットになったものなんじゃなかろうか?と思うわけですが、そう考えると、なんでこう……考えようとしないのかなと思います。

※考えて自分たちで同行しようとしている人たちもいますので、一概にそういうわけではないと思います。

祝1年ー改めて、振り返るー

こんにちわ。

 

ついに、このブログを始めてから1年を迎えることができました。

記事数にして30と少し、アクセス数にして900弱という細々としたものですが、今まで思いついたこと経験したこと、悩み、苦しみ、喜び、発見色々ひっくるめて、たどってきた軌跡であると思います。

 

過去のログを見ると、シェアしたSNS以外でアクセスいただいた方は、総じてITIL4関係の記事を見ていただいていたように見えています。

 

ITIL、既に日本人ではExpertは1000人を超え、V2のマネージャーなら数百人、Masterは1名のはずですが知名度も高まってきたなと。ITIL v3は比較的ITサービス提供企業向きでしたし、日本でも扱いやすかったように思います。4からはコラボレーションや共創、v3の上でどうやって成り立たせるかそんな感じですよね。

 

SNS経由だと一番なのは、この記事。。

agile-beginners.hatenablog.com

考えてみれば、一気に書きつつもEaaSの考え方、労働環境、時短に至るまでいろいろ詰め込んだ気がしています。

今振り返れば、時短を批判している感が半端なく、ちょっと今の自分とは異なる考え方だよなぁと。

働き方の本質とは、本来的には「給与は今のまま」「仕事ごっこの時間を短く」し、「価値ある仕事に振り替え」、「価値ある仕事の定義を変える(学ぶ時間も価値ある仕事の時間だと)」これをまるで歯車のようにすべてを滑らかに回す無理ゲーを推進することなんだろうなーと今の自分なら思うのです。

そこを、「給与を下げる」とか、「労働時間を短く」とか、「ライフワークバランス」とか、定量的な指標やお題目だけをバロメーターにするとたぶん破たんするし、だから今人手不足なんだろうなと思います。

家庭に使っている時間がこれだけ増えたから、当社は優良企業です!という時代ではなくて、労働に供する時間をこれだけ削減しても、なお品質は変わらず、社員は自分のしたいことを追及する時間を作れています!という方がこれからはより好ましいのかなと。

出勤という概念や、退勤という概念もなく、その瞬間瞬間したいこと、しなければならないことを優先できる世界。そういう世界になっていければ、世界はもう少し平和になるのではないか?

 

そんなことを振り返りつつ思いました。

 

細々ではありますが、これからも続けていきたいと思いますので、皆さま何卒、末永いお付き合いをお願い申し上げます。

合理化と高度化

こんにちは。

 

今日の発想のヒントになったのは、この東洋経済さんの記事。

 

toyokeizai.net 

いきなり余談に飛びますが、東洋経済さんの記事って不思議というか目の付け所が面白いというか、ゴシップと気づきのちょうど間ぐらいのポイント攻めてきまよね。

 

そして、この記事に基づいて考察したいのがこの記事。

delete-all.hatenablog.com

 

凄いタイトルです。RPA化が人権意識で吹っ飛ぶ?普通に考えるとありえないと思うのですが。。

 

この二つの記事を読んで考えたことは、RPAに取り組みたい人と取り組みたくない人は、この合理化と高度化の定義がズレてるんじゃないかなぁと。そして、両者思い込みがすごく深いんじゃないかと。

 

私自身は、このRPAに関して賛成派な人ですし、それによりRPA化される業務をやってきた人達に高度化も達成して欲しいと思う人です。つまり、この記事を書かれた人と同じ考え方の人です。

 

この件を語る前に、一つ理解いただきたいのですが、合理化とは、簡単に言えば「人の手作業を省力化し、人を労働から解放する事」です。

高度化とは、端的に言えば「おもてなし」です。もっと言うと、次の作業者の為にアウトプットを整える事です。

私の信奉するトヨタ生産方式で言えば、後続の作業者のために必要な物を必要な時に必要なだけ提供することに心を砕くこと。

または、EaaSの考え方に従えば、自分の仕事の成果を受け取る次の人をお客様と捉え、お客様に喜ばれることをする事。

つまり、バリューチェーンの発想で物事を捉え、より高度にこなす事。これが高度化です。

労働者を今までの「こなす」労働から解放する合理化を追求し、開放されたリソースを高度化に充てる事でより良い働く環境を作ろう、これが今の労働者がなさねばならないことではないかなと。働き方3.0がこれなんじゃないか。

 

では、その定義に立った時、この東洋経済さんの記事は、まさしくそれを述べている。仕事の高度化に集中する為に合理化を推進すると。

 

しかしながら、RPA化に反対する人たちは、こなす労働の上に成り立つ高度化に価値があると述べ、その価値を認めてくれ!と言っている。

 

一言でぶった斬れば、残念ですね。

 

確かに、伝票のそろえ方一つにも次の作業者に喜ばれる揃え方はあると思います。ただ、それは、非常に狭い高度化です。確かに目の前にいる次の作業者には喜ばれる。しかし、今目指さなければいけない高度化というのは、そういうことじゃない。

IT技術の進展により、目の前の人を喜ばせる高度化は価値がそこまで高くないものになり、価値が高い、つまり企業内で本質的に喜ばれることは、バリューチェーン上の次の作業者、つまり、顔の見えない別組織を喜ばせる高度化だと思います。

 

そして、それを知るためには、バリューチェーンとは何か、合理化と高度化を両立させることとは何か、仕事の流れ全体を俯瞰して自分の仕事は何かを考えるなどの時間と頭と学びが必要になります。

 このRPAの記事の方は、学ぶ時間に充ててくれと言うことを伝えていないし、RPA反対派の方々は学ぶ時間を捻出するための事なのだと思ってない。暇になったら学べ、暇を作って学べ。そう言う前向きな話になっていない。

人権などという、ものすごく正論に見えることにフォーカスし、改善を停滞させる。実際のところ、自分たちがものすごく低い視座で物事を見ているだけなのに。

ストレートに書けば、視座が低い自分達の面倒を見ないのは人権侵害だ!と明後日なことを堂々と主張してしまう。

小説で恐縮ですが、改善に至れないこういう人たちをストーリーではどうしたか。

The DevOps 逆転だ!究極の継続的デリバリー

The DevOps 逆転だ!究極の継続的デリバリー

 
ザ・ゴールドマイン 金脈が眠る工場 小説トヨタ生産方式

ザ・ゴールドマイン 金脈が眠る工場 小説トヨタ生産方式

 

 ほとんどの人は変わっていきます。その中でも変われなかった人は、自分で去った場合もあれば、首を切られた場合もありましたが、要は表舞台からは消えていきました。

別に辞めさせろと言いたいわけではないです。今までとは異なる高度化が求められる時代にあって、どうやってその高度化を達成するかに頭を使うのか。それが出来ない人は一定数いて、そんな人にはそれ相応の生き方をしてもらわねばならない。ただ、それが辞めてもらうことが唯一の正解だとは思えないですが。

合理化と高度化。 実は皆やっている。けど、特に今の時代求められる高度化を達成するためには、知ろうとすることが必要で、その為には勉強しなきゃいけない。

 

勉強する事も仕事である。そうなればいいなと思う。

知識を仕入れ、ビジネスの全体を俯瞰し、バリューチェーンの流れを見極め、自分の次の作業者は誰か?何を望んでいるか?これも実は仕事だし、これが今の時代のサラリーマンの勉強なんじゃないのかなぁと。

勉強する時間を作らず、ただ、こなすことに集中する時代ではないのではないか?

仕事の時間を減らし、学ぶ時間を増やす事。それが大事なのではないかなぁと。

ただ、やはり雇用の保障や、給与の安定を念書にしちゃいたい気持ちはわかる。それに寄り添いつつも、でも、やっぱり求められる働き方が変わっていることにどう気が付くべきなのか。。難しいし悩ましいな。

読了:「他者と働く」ーハラスメントの考察ー

最初はまたまた本の紹介。

 

ただ、これから突然私の半生を反省する話になります。

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

 

 

いや、かなり目から鱗な本でした。ちなみに序章は無償公開されていたりしますので、是非ご一読を。

 

お断りしておきますが、ハラスメントを容認するものではありません。ハラスメントという傷つき方をなくす方法として考察しています。

 

ザッソウ然り、このナラティブしかり、言われていることをかなり簡潔に書けば、観察・洞察を通して、他者を知りいかに言語外の認知を深めるか。そして、深めた認知に基づき新たなコミュニケーションを模索する。

コミュニケーションは手段の1つであり、目的ではない、ということです。

その手段がザッソウでありナラティブなアプローチなのではないか?それが私の解釈です。

 

私個人の感覚では多様性、ダイバーシティの追求とはある意味ハラスメントを誘発させるものだと思うのです。

何故なら、今までは比較的狭い、ある意味一様なムラ社会で構成されていた企業にとって、言語外の認知は比較的同質な背景をもつ同僚や先輩だったため、あまり重視されませんでした。というか、重視しなくても分かっていたという状態。なので、比較的阿吽の呼吸が伝わりやすく、誤解があってもすぐに解ける、または同質であるが故に誤解も受けにくい。

※何度も書きますが、ハラスメントは誤解によって始まるということが言いたいのではありません。

 

しかし、多様であるという事は、異質な価値観が増えるという事。

その(他人の)価値観に潜む背景や理念、考え方を知る必要があります。それを知らずに(相手から見れば)自分主体のコミュニケーションを取るとそれは、やはりハラスメントになってしまうのではと。

 

つまり、ハラスメント、特に最近定義された新規のハラスメントは、相手の背景や環境を認知しないことによるコミュニケーションロスが大きいのではないかなぁと。

※何度も書きますが、ハラスメントでも相手を傷つける目的を持ってしているものはこれには含まれませんからね。

 

だから、ハラスメントを極度に恐れる必要はないのではと思うのです。社会的信用を失うとか、企業内で糾弾されるとか。そう言う結果に結びつけてハラスメントをしてしまったレッテルを貼ってしまうことはしてはいけないのではないかなと。

 

ハラスメントは悪いことです。ですが、ハラスメントは相手の背景に対する認知不足によるコミュニケーション障害であって、相手を傷つける意図がないと言う前提に立てば、だいぶ気楽になるんじゃないかなぁと。

※しつこいようですが、相手が自分を傷つける意図がないということが前提です。それを意図した言い回しは、完全に断罪されるべきと思います。

 

そして、多様性を受け入れるために気を使いすぎなければいけない状態に置かれている人は辛いし苦しいだろうなぁと。

 

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話は飛びますが、実は夫婦間でも同じことが、また親子間でも同じことが言えるのでは?と思うのです。

親子間は他の関係性と比べると密室のためそれだけ同質化しやすい。核家族の進展以降、父は働き母は専業主婦というよくあるパターンの場合、母親と同質化、一様化してしまうパターンは多いのではと。また、家族も夫婦もそういう同質の中で育って来た場合だと同質であるのが正しいと思い込んでしまう。

今の社会では多様性だダイバーシティーだも言われ、しかし家では一様化が当たり前と言語外の中で認識しあっている場合。そりゃー何事もうまくいかんわと。

まずは自分が認識している一様化を言語化し、自分の中で多様性を捉え直し、頭を切り替えないと。

そういう点では、私はおそらく、妻にハラスメントをまた、妻は妻で私にハラスメントを意図せずしてしてしまっていたんだと思います。お互いの理想の家庭を考えず、夫は、妻はこうあるべき(なぜならそれが自分の価値観だから)となれば、そりゃつらかろうと。相手のためを思ったコミュニケーションであっても傷つけることになろうかと思うのです。

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閑話休題

ちょっと提言したいなぁと思うのですが、組織、特に大企業は性急にダイバーシティを進める必要あるんでしょうか?企業が生き残りをかけて、という意味ではやる意義はありますよ。そういう論調だと思いますし、事実そう進んでいると思ってます。ただ、自分も含め働く人にとって、多分ものすごい痛みを与えることになると思うんです。多様である事を受け入れる事は。

性急に進めるなら、それなりのケアを考えないと折角の人財が疲弊して企業を去ることになるのではないかと。そのケアが、ハラスメントの防止だったりするのでしょうが、ハラスメントの防止に向けた活動って、〇〇するのはハラスメントですよ!とか、それこそあれダメ、これダメ方式な研修だったりして。「じゃあ、何やればいいんだよ」ってなる。まぁ、多様性についていけない人間は切り捨てるという判断もあると思いますが。

大企業は今まで変わる事をあまりせずここまで来た。家庭は旧態依然のままというところも多いのではと思う。実は、企業が変わる事は最終的に家庭にも影響があるんじゃないか?そう思うのです。

別に家庭の事に口を出せと言っているわけではありません。そうではなく「痛みを強いているよな、わかるよ」というサインを送って来たか、と言うことです。それが本質的なハラスメントの防止につながるんじゃないかなぁと。

わかるようになれ!というのは簡単ですが、それをどうすればできるんだよ?がみんな苦しんでるポイントなんじゃ?と思うわけです。

で、あれダメこれダメで手足を縛られた状態で何をしたらいいんだー!と苦しくなる。

 

ライフワークバランスという綺麗事ではなく、言語化したコミュニケーションとして、伝えてきたかと。今まさに働く人が感じている「生きづらさ」の本質を言語化する事。共感するメッセージを伝えること。難しいですが、これが生きづらさを少しでも解消する事につながるんじゃないかなぁと。で、そうすると、徐々にではあるのですが、企業で起こるハラスメントは少なくなっていく。自分の生きづらさを認識し、言語化できれば、なっとくできて、心に余裕が生まれてくる。その余裕が相手の価値観を洞察する習慣になっていくと思うので。

まず第一歩は、心の余裕を生むこと、それには自分の感じる生きづらさと対話する。

 

私にとっては、「一様であること」の潜在意識での思い込みだったように思います。では、貴方は?生きづらさを感じている人がいれば、是非心の棚卸しをしていただきたいと思います。