なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

働き方3.0でAmazonの問題を考えてみた。

毎日通勤中はざっと様々なニュースに目を通します。新聞ではなくて、コラムというかいろいろな人が発信している情報に目を通しています。

そんな中で気になったのが、以下の2つの記事。

 

theacademia.com

www.bengo4.com

 

今回なぜこれに興味を持ったかというと、仕事を通じて搾取される側とする側が対話不足のせいで起きてるのかなと思ったんです。

 

労働時間を短縮から濃縮へ、これそのものはそうだと思います。ですが、相互の働きかたを理解して尊重するって部分。ここに物凄い非対称性があるなと。

 

いや、綺麗な世界ならそうだと思うのです。では、相手が働くことにどう思っているか、理解して業務を任せているのか?という点に疑問が残るんです。

一つ目の記事、「仕事は個人の価値観を具現化するもの」にちゃんと踏み込んでいるか?ということです。

 

話を単純化するために置き換えると、働く目的は食べるため(ライス・ワーク)と、働く目的は自己実現(ライフ・ワーク)と、働く事と私生活(ワーク・ライフ・バランス)とどの軸により近いのかを自分が知っているか、そして、相手の価値観を知っているか。

いや、他にもあると思うのですが、とりあえず単純化って事で。

 

それぞれが両立すれば問題ないのでしょうが、アマゾンの仕事の現場での仕事のさせかたや、最近話題になっているUber eatsのアカウント又貸し問題(配達員の下請け問題)を見ると、ライスワークをせざるを得ない人を雇っているように見える。

 

また、そこまで搾取していなくても、ライスワークな人は仕事によって得る報酬に価値があり、ライフワークは、それによりどれだけ自己実現につながるかが価値になる。

 

で、画一的にライフワークを要求しているのが今なのではないかなぁと。そのくせライフワークとライスワークをごっちゃにして、相手の価値観とすり合わせることをしてないんじゃないかなぁと。

 

そして更に、ライスワークをせざるを得ない人達を雇い問題が起き、ライフラークを標榜する人達が批判する。

でそういった批判を避けるために、おそらく、そういった仕事は機械にとって変わられる。

 

本当にそれでいいのかなぁ?と思うのです。ライスワークがあってもいい、ライフワークがあってもいい。

ただし、「私は、ライフワーク(またはライスワーク)を追求したいから」を明確に言えるし、受け止める。

 

余談ですが、ライスワークは程度の差こそあれ、私生活が豊か(心理的)になると減っていくと思うのですよ。ライスワークはそうせざるを得ない状況に(内発的であれ、外発的であれ)追い込まれた場合に起きるパターンもあると思うので。

 

このままだと、ライフワークかライフワークバランスを狙う仕事だけが残る。

仕事の報酬は、飯だ!という人が生きていけない世界になる。そのように働くことになった人が生きてゆけない世界になるのでは。。

そんな事を感じました。

 

社会保障で支えるのか、はたまた、自営業になるのか。ベーシックインカムのような施策でライスワークなき世界を支えるのか。

 

別にベーシックインカムをしたいわけではないです。どうするのが、みんなが幸せなのかな?と考えるんです。

 

願わくば、仕事は手段の一つに過ぎず、目的ではなくなる世界にならん事を。