なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

SoRとSoEはちゃんと考えようって話(3/5)

3回目です。

前回やこの長編全部を確認する場合は、タグから選んでください。

 

前回はSoRとSoEは密接に繋がっていて切っても切れない、だから両方とも大切なんだ、というお話でした。

今回は密接に繋がってるけどワンパッケージにしちゃいけないって話です。

 

もうお気付きの方もいるかもしれませんが、SoRとSoEは役割が違うので一緒にしちゃいけないんですね。

なんでかというと、SoEは追加開発、変更が当たり前だから。まぁ、これはギョーカイ長い人ほど頷いて下さると思いますが、変更を繰り返すと変なところから綻びが出ます。

よく老舗の温泉旅館だと言われますが。増改築を繰り返したためになんか変な段差ができた、とか。ぐるっと回る廊下があったりとか。

よく言うじゃないですか。1行のコードを変更するのに半年かかる、とか。

なぜこんなことになるか。記録するってことに影響が出ないかを確実にしないと企業の存続に話が及ぶからです。SoRに影響を与えることは最終的に企業の首を絞めるからです。

 

だから、1つのサービスを1つのシステムで提供しようとするとドエラいことになります。

正確に言えば、今の時代は。

昔は良かったんです。それ(1つのサービスを1つのシステムで作って)でも。だって、差別化の手法に顧客満足度を上げるって選択肢がなかったから。

その名残が残っているのがいわゆる「社内システム」ってやつじゃないですか。今でも顧客満足度を上げるって選択肢ないですもん。サラリーマンの方にお伺いしたいのですが、今あなたが務めている企業でしか使わないシステム、外に売れるって思います?これ便利だから、他の企業の人に使ってもらおうよ!って言う人います?

前回申し上げたEaaSの話にまたなっちゃいますけど、社内システムから見れば、利用者は顧客なんですよ。顧客が満足しないシステム作ってるのがいわゆる社内情シスですからね?私が言うのもなんですけど。(社内情シスでした)

 

これ(社外に売れない社内システム)はSoRを重視するあまり、SoEに無頓着になってしまった典型だと思います。

 

働き方改革が叫ばれ生産性向上が急務と言われても、実は働いてもらう環境が生産性を上げてない。これは社内システムだからこうなっているだけで、お客様、最終消費者から見れば関係ありません。新しくかつ充足感のあるエンゲージメントを提供してくれるプラットフォームに乗り換えます。別の言い方をすれば、消費に関わる行動を効率化するために、新しいプラットフォームに乗り換えるってことです。

あ、やべ、これじゃない!と提供側が感じたらすぐに切り替える俊敏さが必要です。そこで記録に与える影響を精査するからと半年も待ってたら企業の収益力が低下する。ゆえに、SoRとSoEはしっかり分けないといけないんです。

 

OK、わかった。でも、ウチは関係ないよ。と思った方。SoRとSoEをワンパッケージにしてはいけない理由はもう1つあるんです。

 

それは、SoRも変化を求められるってことなんです。は?と思った方。

例えば、労基法が改正されました。それと同時に安衛法も改正されましたよね?働き方改革関連法の改正って一絡げにされてましたけど。

その中で、労働時間の把握が自己申告だけではダメになってます。簡単に言えば、タイムカードをガシャコンッとして把握するだけじゃダメよ、と。客観的事実で労働可能だった時間を把握しなさい、というルールが追加になってます。ハイ、新しく記録しなきゃいけないものが増えたんです。この是非はさておき(個人的には意義は理解するけどやらんでもよくない?と思います)、こうしてSoRも変化を求められる時代になったんです。追加要件だ〜って丸投げしますか?さらに言えば、この新要件対応のためにしばらく勤怠管理システム使わないでくださいって言えますか?言えませんよね。今までのやり方で考えれば、土日や時間外にリリースする、でしょうか。でもその時、担当が育児のために土日出られませんってなったらどうします?いや、今のご時世普通に起こりえますよね、そんなこと。

今回は一例として社外からの要求(法令対応)によるSoRの変更にスポットを当てましたが、VUCAの時代、企業は生き残りをかけて変革をしないといけない時代です。新しいビジネス(サービス)を見つけたら、やっぱり新しいSoRが必要で、儲けるためにSoEも作られ、かつ刻一刻と変化成長していきます。

例えばトヨタが自動車製造販売業からモビリティカンパニーに舵を切ったように。

富士フィルムが化粧品作ってるように。

電気やガスが自由化されエネルギー提供業界として大きく変化したように。

企業の生業が変わると言うことは、それに伴って記録すべきものも変わる。

 

こうして SoRもアジリティを求められる時代になりつつあります。顧客とのインターフェースとしてたつSoEを前面にして、確実に記録するシステムSoRをメンテする。そんな時代なのです。新機能を取り入れるためにシステム全体を止めてしまう。それはナンセンスだ。そんな時代なのです。

 

故に、SoRとSoEはワンパッケージにしてはならない。密結合にしてもいけない。すぐに切り離せるような疎結合にしておかないと俊敏な(正確に言えば俊敏に見える)変更ができないのです。

 

そんなシステム、どうやって作るのよ?

 

それは、第4回に譲ります。

覚えておいででしょうか?SoRとSoEを考える上で重要なこと、その3。

「プロダクトオーナーとプロダクトバックログしっかり作ろうね、ただ、大体のプロダクオトーナーはわかってないのでスクラムマスター頑張れ」

 

スクラムマスターはどう頑張るの?それを私なりの見解ですがお話しできればなと。

SoRとSoEはちゃんと考えようって話(2/5)

2回目です。

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前回、SoRとSoEを使う上で3つ重要な概念を書きました。今日はその中の1つ目、どっちも大切について説明します。

 

企業の活動を記録するためのシステム(SoR)はなんとなくわかると思いますが、とても大切です。ここでいう活動、とは究極的に言えば、企業の信用に関わることです。

企業の信用とは何によって培われるか。

色々なご意見があるのはわかりますが、その上で最もといえば、やはりお金(決算)に関わることだと思います。

買う、作る、売る、雇う、それぞれの企業の生業によって変わりますが、「お金」という共通の対価をもらい、支払い、それによって社業を推進し、顧客から収益を上げてどんだけ儲けたのかをちゃんと説明する。

それは誤ってはいけない(結果的に誤魔化しや嘘になってしまうから)ですし、そうならないためにも正確であり確実であることが求められます。

 これがSoRの達成目標です。

SoRに指定されるものは実は多岐にわたると思います。そしてシステム化できない部分もあります。極端なことを言えば、小売業が毎月行う「棚卸」。電子タグなどで負荷を軽減する取り組みは始まっていますが、少なくともSPAでは聞いたことはあってもスーパーなんかでは聞いたことありません。しかし、毎月愚直に行っています。現物をシステムに落とし込む行為、これもSoRに含まれると思います。

 

では、翻って、SoE。これも今まさに大切といわれているものです。

エンゲージするためのシステム。つまり顧客の満足度を高めたり、顧客の期待を受け止めて顧客が受け取る価値を最大化するためのシステムです。わかりにくいので私の理解で一例をあげると、顧客に便利さを提供するものです。(あくまで一例です。)

ただ、この顧客も曲者で、誰を顧客にするかで意味合いが大きく変わります。

一般的にはお客様(売上の一部となるお金を渡してくれる最終消費者)になりますが、前述のスーパーに例えると、POSシステムの端末を使ってお客様からお金を受け取る「役務を提供してくれる」店員さんもPOSシステムから見れば顧客になります。

そうなんです。この「してくれる」相手が顧客になりえるのです。

この発想をEaaS(Everything as a Services)といいますが、本稿とは若干ズレるので、いったん割愛。

話が発散しないようにここでいう顧客は、最終消費者に絞りましょう。

もう一度書きますが、SoEとは、顧客の満足度を高め、顧客からお金を頂く機会や時間、総量を増やす(その点では、LTV向上と似ています)ためのシステムです。

いや、どう考えても大切ですよね。

なので、どっちも大切……というのは今回の話の半分です。

 

ここから、もう半分の理由です。

ちょっと疑問が出てきませんか?

だって、SoEのシステムたちが成功し顧客の受けとる価値を上げると企業が得られる対価が増える。つまり、SoRに記録しなきゃいけないじゃないですか。まるで真反対なイメージが付きまとうSoRとSoEなのに、連携しなきゃいけないの?

SoEを追加開発すれば、それは状況によって無形固定資産や建仮に組み入れないといけないんじゃない?

そうなんです。SoEとSoRは密接につながってるんです。

図にすると↓こんな感じ。

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この図を、一つのサービスだと考えてみてください。そうするともう一つ見えてきます。一つのサービスを提供するためにはSoRとSoEを行ったり来たりするんです。

例えば、Amazonでお買い物したとしましょう。

SoEであるアプリを立ち上げると、SoRの個人情報を取りに行きます。

SoRに記録されている購買履歴とSoEの欲しいものリスト、閲覧履歴、さらにSoRの他の顧客の購買履歴とを突合させ、SoEとして「この商品を見た人はこんなものも買っています」(レコメンド)機能を出します。

欲しいものをSoEのカートに入れ、SoRで決済します。

と、まぁこんな感じで。

何かお買い物をするだけで、SoRとSoEを行ったり来たり。

そうなんです。SoRもSoEもどっちも大切な理由は、それぞれが企業の記録や成長のために必要だ、というだけではなくて、密接に絡んでいてどっちが大切かという議論を超えたところにある、ということなんです。

 

DevOpsが言われ始めたころ、SoRはウォーターフォールSoEAgileなんて言われたものです。SoRの時代は終わり!これからはSoE!なんて思ってた私もいました。

違うんです。SoRもSoEもそれぞれ役割が違うだけで、大切なんです。そして、両者は切っても切れない。エンゲージメントだけを高めても企業としては破綻するし、記録だけやってても満足を提供できない以上市場から淘汰される。

 

もう一回だけ、EaaSの話をすると、記録するために従業員に苦労を強いてると従業員が辞めるんです。かといって、記録を取らないと企業が潰れます。説明できないから。

 

SoRとSoEはどっちも大切なシステム。

密接だけど、密結合にしちゃいけない。ワンパッケージにしちゃいけない。

次回は、このワンパッケージじゃダメよ議論をしたいなと思います。

 

あー、、やっぱりこの回だけでも長くなったか。。

 

SoRとSoEはちゃんと考えようって話(1/5)

やっと自分の認識のずれに気が付けたので筆を執りました。

 

SoRとSoEという言葉を聞いた方も多いのではないでしょうか。

 

SoR……System of Record

SoE……System of Engagement

です。

 

SoRは、いわゆる基幹系と呼ばれる大規模システムで安全第一。安定が求められ、安心安全に使うことが尊ばれるシステムです。

 

SoEは、顧客接点を預かるシステムで、イメージで行けば、いわゆるウェブアプリと呼ばれるものに近い、それが私の理解です。ソコソコの安定性で不安定でも構いません。気軽に使え、すぐやめられる。そんなイメージ。

 

しかし、ここであえて申し上げますが、私は本質を見誤っていました。

 

概念で理解しようとするがあまり根本的な、原理原則を理解し損ねていました。

 

話は簡単です。

System of Record、直訳すれば、記録するシステムです。記録するシステムですから、法律、B/S、PSなど財務会計上の帳票の基礎となる大切な数字、保護すべき個人情報などそういったものを確実にかつ正確に記録し、追跡できることが求められます。

各種制約に準拠し、かつ、記録されたものは状況に応じ行政や第三者に開示される可能性があるため客観的かつ明確に示されるものを記録し体系立てて保管する必要があります。

 

一言で要約すると、企業の活動を記録するためのシステム

 

System of Engagement、直訳すれば、エンゲージメントのシステム。いや、カタカナすぎて意味わかりませんね。

顧客との約束、顧客からの期待、顧客の満足度のためのシステム。ちょっと前に書いた、LTV(Life time value)に近い概念かなと。要は、顧客が期待し、満足し、お金を落とすためのシステムです。

一言で要約すると、顧客の期待や満足に応え顧客とともに成長するシステムです。

また、あえて定義すると、ここでいう顧客とは広義ではサービス受益者となり、狭義ではサービス受益者であって対価を払う者、になります。

 

重要なことは3つ。

1つ。これらのシステムはどっちも大切

2つ。これらのシステムはオールインワンにしてはいけない(オールインワンなだけではなく密結合もダメです)

3つ。ITシステム化しようとするならば、これらの業務フローを最小機能単位に注意深く分割し、どの機能が企業の活動の記録に相当するものか、どの機能が顧客の期待や満足を上げるものかを決定しなければいけません。

長いので要約すると、プロダクトオーナーとプロダクトバックログしっかり作ろうね、ただ、大体のPOはわかってないのでスクラムマスター頑張れ、です。

 

長くなりましたので、次回以降、この大切な事と私が気が付いたSoRとSoEの関係性を深掘って、あるべきシステム構成を論じてみたいと思います。

 

多分、5回ぐらいに分かれます。絵心のない図も出るよ。(逃げ場をなくす)

目的主導運営(を提唱したい)

ご無沙汰しております。

 

私事により遠ざかっておりました。

書きたいことがないってのもありましたが。

古人を求めず、古人の求めたるところを求めよ。

出典をググってみたのですが、孔子とも、松尾芭蕉とも空海とも。
なんだかよくわからないので、言った「らしい」全員を挙げておきます。

 

古人を越える(追いついて追い越す)ためには、古人そのものを追いかけるのではなく、古人の目指したところを追いかけなさい。(この古人が師だったり、先人だったりと諸説ありますが)という話です。

 

まぁ、その通りですよね。だって、古人と私は違う。その古人が辿った道を同様に辿ったからと言って、同じものが見える可能性はあるでしょうけど100%ではないし、感性も違うから同じものが書けるわけでもない。

じゃあ、どうすればその古人に追いつき、追い越せるかというと、その古人が目指したものを目指せば道はある程度見えてきます。

古人と自分の差(加除算ではなく、違いを見分けるという意味です。2つの図形を重ね合わせてモレ・ダブりを認識するイメージです。)を認識し、同じ目的を達成する為には、どの道を歩むべきかを検討する。

 

今回はそんな話です。

 

普段のビジネスの場において、我々はこの言葉を肝に銘じる必要がある、そう思うわけです。

例えば、社内規定や手続(以下、内規)ってありますよね。これは先人達がやってきた事からそのエッセンスを抽出したり、または、自分たちを取り巻く法律や規制(商法や取引の規制、税金の規程、二酸化炭素排出だったり産業廃棄物だったり)を守るためにあるものです。

 

それら内規って守っておけば間違いはないわけです。では、守るだけでいいのかって話です。

 

巷では、働き方改革や新しい技術の誕生が激しいです。それらを貪欲に取り入れられるか。そこに必要なのは、そもそもの内規の目的に立ち返る必要がある、そう思うわけです。これが、今日のタイトルにある「目的主導(purpose driven)」です。

内規が目指したことは何か。そもそも、社業は何が目的か。それらの目的に照らした時、内規に定義されていることは正しいのか?目的に対して最短ルートの手続きになっているのか?

 

繰り返しますが、今の世の中は変化が激しく、正しく捉えたとしても、それはその瞬間であって、次の日にはまた変わっているような不確実な世の中です。複雑で、単純化するには難しくまた、単純化しても次のタイミングには陳腐化してしまうような世の中なのです。

 

そんな中で唯一信じられるのは、「我々は何を目的にしているのか」「我々は何を守らなければならないのか、それは何故か?」。

要は、何故?に対してその時その時に解を導く目的というパイプラインを持ち続ける事です。(実際の所明確な解はありません。)

 

答えはないのです。答えにつながる方程式を持ち続ける、それが「目的」ではないかと思っています。

 

今まさにディスラプトされる企業に起きている問題はここではないかと思っています。(誤った)効率追求や、ガバナンスのための厳格なアクセス制限などにより、サプライチェーン/バリューチェーン全体が見えにくくなり、結果として「何のための仕事なのか」「この仕事の目的は何か?」が見えなくなる。

反対に、スタートアップ企業やディスラプターは少数精鋭のため、業務もガバナンスも簡単に構築でき、一人が複数の役割を持ち、自分がチェーンの一要素であることを見えやすくできる。

ゆえに、目的を見失いにくく、何か迷ったときにも確実な解を導き出すことができる。

 

大規模なITプロジェクトもそうです。人を増やせば、その分コミュニケーションパスも増え、サプライチェーンバリューチェーンは無駄に長くなり、目的を見失いどこに向かっているのか見えなくなる。

 

すべてにおいて、「目的」を共有できる規模の人員とチェーンの構築に注力すること。これが、この変化の激しい時代に必要な企業の備えではないかと思います。

 

それを作るために、ITを使う。ITの力は、「時間」と「空間」の圧縮。

ITは道具なのです。お客様に価値を届けることにも使えるし、従業員に目的を浸透させ、迷わせない道具としても使えると信じています。

従業員をお客様ととらえれば、管理するためのITではなく、チェーンを紡ぎ、目的を忘れずイキイキと働ける環境を作れるのではないでしょうか?

事業会社のIT部門の方は、そう肝に銘じていただきたいと思います。

「自分の理想を体現した国家とはどこだろうか?」と言う問いであった。2 人とも「日本」と答えた。

有名なエスニックジョークの引用です。

 

マルクス科学的社会主義)とケインズケインズ経済学)があの世で出会い、激しい議論を始めた。相反する思想を持った 2 人だが、たった一つだけ結論の一致を見た。それは「自分の理想を体現した国家とはどこだろうか?」と言う問いであった。2 人とも「日本」と答えた。

 

実はFacebookでちょっと働き方について呟いたところ、お友達のみなさんからとてもたくさんコメントをいただきました。

 

今日は、自分の意見と友人のコメントをより咀嚼し、昨今の働き方を少し考えてみたことを綴ってみたいと思いました。

 

また、この記事の草稿を練っていた時、川崎の事件も起きました。私にも子供がおります。ただ、悲しいです。

私の子供を守るためにも、他の子供を守るためにも誰かに届けば良いと思い、僭越ながらしたためております。

 ITSMとは異なる話です。しかし、ITSMはサービスを提供する「働き方」でもあるし、なによりも、一介のサラリーマンとしても、いつか誰かの目にとまり、その方の働き方の一助になればと願いを込めて。

 

本題です。

 

最近、働き方改革が叫ばれ、ITSMの領域でも、それによるサービスの導入(SfBなどのコミュニケーションツールやモバイルの業務活用など)業務時間の削減や把握のために新しいツールを入れる(勤怠管理やロギングツールの導入)など、てんやわんやだったり、果たして意味があるのか、と悩んだらされていらっしゃるのではないでしょうか?

 

もし、これ(管理ツールの導入)に意味はあるのかと悩んでいるなら、その発想は正しいと思います。というか、此の期に及んでそういうことやってる会社に属していて苦しいなら、さっさと転職活動した方がいいです。

 

今時、ロギングツールを入れたり、残業規制をしたりなど、従業員の時間管理をシステマチックにやるという感じで進めてしまう行為は、「ブラックサラリーマン」(企業から給与を搾取しているサラリーマンを揶揄して表現しています)を増やすことにしかなりませんので。

 

これらの施策は端的いえば、

  1. 成長するため、変化に対応するための価値を所属企業に提供しないサラリーマンを基本給に抑える事。簡単に言えば、企業にぶら下がるだけの人の人件費圧縮。
  2. 成長するため、変化に対応するための価値を提供する、または提供しようと多少スマートではなくても努力しているサラリーマンの芽を積む事
  3. 1や2のサラリーマンを「やる気」はなく、業務だけをこなし、これでいいのだと下を向かせてしまう「ブラックサラリーマン」を量産する。

 

この効果しか産まないからです。

 

「やる気」のない奴を締め付け、「やる気」のある奴のモチベーションが下がるような勤怠管理を強制する。誰もハッピーじゃない。

 

結果、ただ、企業に飼われ、飯を食わせてもらうだけのブラックサラリーマンの出来上がりです。丁度面白い記事もありました。

bunshun.jp

 

丹波さんも書かれていますが、長時間働くことが正しいことといいたいわけではないのです。「どう」働くか、「何のために」働くかを、常に問い、そして、孤独ではない状況を作ることが求められています。

 

これからの時代、私はどのような価値を他者(これには家族や企業、組織を含みます)に提供できるんだろうか?を真剣に考え、その対価としてのお金、に変わってきます。

もしかしたら、遠い将来かもしれませんが、対価は、お金ではないかもしれません。まぁ、それは暴論ですかね。いや、すでに家庭において何か価値を提供しているにもかかわらずお金という対価を受けているわけではない訳で、その点、あまり暴論ではないのかもしれません。

 

労働とは、果たして本当に悪いものでしょうか?私はそうは思いません。

 

勿論、多数の労働者の方が同じ考えを持っているとは思いませんが、1日の(最低でも)1/3を費やすこの限られた時間。対価としての給与を得るためだけに費やすのはもったいないと思いませんか?いえ、もったいないと思うべきなのです。そんな時代になったと知るべきなのです。

 

どうせなら、給与以外の価値も受け取りましょう。給与以外の価値を受け取るためには、まず自分が提供できる価値を明確にしないと得られません。

 

これは、ある意味残酷な事実です。

給与のために今まで時間を費やしてきた労働者は、周りに提供できる価値など何もない。内向きなフィードバックサイクルを回し続け、外向けに何ら提供してきていないために、何が価値を持つのか、何が喜ばれるのかもわからない。

 

20代、30代ならまだしも、40代、50代ともなれば、何が喜ばれるのかから探すにしても、役職定年や定年退職を控え、時間がない。

 

ましてや、天下のトヨタ始め、多くの企業で、「もう持たない」と悲鳴を上げ始めています。20代や30代は属す企業がなくなっているリスク、40代や50代はリストラのリスク、60代は再雇用による給与減のリスク、全世代でリスクを抱えているのが今なのではないでしょうか?

 

私の周りで、生き生きと働く一社を勤め上げてきた50代は正直なところごく僅かです。

その僅かな方々は、積極的に社外と関わり、結果、社内でも「余人をもって変え難い」と認定された方ばかりです。

 

この潮流はここ5年で一気に変わってきたように思います。そんな生き生きと働く人が一気に社会に躍り出てきたのは。

 

今から十数年前、新入社員として今の職場に籍を置いた頃、そんなカッコいいサラリーマン、いました。

 

彼らは誰に言われるでもなく外と繋がり、自分が提供できる価値は何なのかと真剣に向き合ってきてました。それは、業務の一環で繋がる場合もありましたし、業務外の場合もありました。

 

分かりやすい例えで話しましょう。

営業職と呼ばれる職務は、業務の一環で外に繋がる最たる職種です。業務として、「何か」を売り、提供し、価値の対価としての料金を受け取る。

 職務上、半ば強制的に外と繋がる。だからこそ、自分が何を提供できるのか、何の価値を付加できるのかを真剣に考える。

 

内勤の方。自ら関与しなければ外と繋がることはできません。しかし、外と繋がることは手段であり、目的ではありません。外と繋がる最大の目的は、「自分が提供できる価値は何かと真剣に向き合うため」です。

 

この目的に照らせば、「内」と「外」がおぼろげながら見えてきます。究極的に言えば、「内」とは自分が受け取る物事の世界であり、「外」とは自分が与える物事の世界です。

 

ただ、残念ながらこれらを真剣に考えず、常に内向きな生活を繰り返しても給与は手に入ります。

 

これがサラリーマンの強みであり弱みです。与えられていることに気がつかずに約40年を過ごすこともできる。貰うだけ貰い、何もできない中高年になっても生きていける手段を得ることもできる。

 

裏返せば、40年間もらえることが確約されるのだから与えることにトライし、失敗しても生活は担保される。

 

どっちにも生きていける。それがサラリーマン。

 

企業は雇用を守る社会主義の歯車ではないのです。

同様に、労働者は、与えられた生活が長く続くよう、与え、与えられる関係を自分たちで作っていかねばなりません。

企業が社会主義の歯車のように雇用を維持するためには、我々労働者が自分たちの持つ資本を武器に価値を提供し続けねばなりません。

自分たちがどんな資本を持っているがわからないですか?だから価値を提供するチャレンジを続けて、失敗から学び自分の持つ資本を学ぶんですよ!他ならぬあなた自身の手で!失敗しても大丈夫。あなたが企業に属するなら、その失敗で生活できなくなることなんか起こりませんから。

 

働き方改革の本質は、労働者が自律し、価値の提供に目覚め、外と繋がる多様な手段を掴み取ることです。

 

その手段は、転職、副業や複業、ボランティアや団体に属すること、団体を始めること、クラウドファウンディング、オンラインサロン、いくらでもあります。

 

では疑問が生まれます。

どこまでが業務で、どこからがこういった時間なのかと。ナンセンスです。公私の境目が生まれるのは、時間で給与が決まるからです。

 

そもそも、前近代的な製造業の時間管理の生産性管理にはどだい無理があります。

1000歩譲って、業務時間とそれ以外には分けられても、では、寝る前、朝起きた後、通勤中に仕事のこと考えませんか?それは業務ではないのですか?

 

全ての時間が業務であり、全ての時間が自分の外に価値を提供するために使う時間なのです。そこに公私はありません。時間で管理して給与を払うって行為そのものが意味がないのです。

 

ただ、それを悪用したブラック企業生活残業を試みるだけのブラック社員がのさばっているのもまた事実。

 

ブラックな労働者は会社に残ってはいけない。会社は箱に過ぎず、システムに過ぎません。セーフティネットとして会社を使うことは許されても、チャレンジをせず、生活を維持するだけのシステムとして使ってはいけません。

 ブラックな会社は労働者を箱に閉じ込めて酷使してはいけない。労働者は本質的には外に出て価値を提供し成長することを生業とする生き物です。箱に閉じ込めて酷使しても生産性は上がらない。

 

最後になりますが、どうか、以下の記事も読んでみてください。

 

president.jp

 

これから先、正解はないのです。重要なのは、外に価値を提供する働き方を通して自分の持つ資本の価値を最大化するための努力を怠らないこと。労働者は、労働力のみが資本の時代ではないこと。

今までの生き方、働き方を続ける上で優しい世界ではなくなってきているということなのです。

極論を言えば、1つの会社、1つの業種、1つの働き方に固執して働くことは、引きこもりと一緒なのです。

 

LTV(Life Time Value)って面白いなって話

最近、EC(イーコマース)やマーケティングの業界の方のお話を聞く機会が多いです。仕事柄そういった話を聞く機会に恵まれていて非常にありがたいと思っています。

 

そんな中で、LTVという考え方に会いました。

boxil.jp

 

計算方法とか、具体的な値の算出などはどうでもよく、この考え方(顧客生涯価値)、もっとシンプルに言えば、いかにして顧客からお金という対価を得続けるか、という点にフォーカスしたパラメータという点に非常に刺激を受けました。

一般的には顧客からの対価の積み重ねが売上です。そういう点で、売上は顧客からの支持のパラメータだと解釈しています。

この解釈は議論の余地はあります。ですが、SPA(製造小売業)のように、一般大衆消費者向けには確実に適した解釈といえるでしょう。単価が高くても一緒だと思います。例えば宝石類。単価は高いですが、ブランド価値を維持し、そのブランドの物を身に着けることこそが価値、みたいになっていれば、自然とSPAのようになるはずです。売上のリードタイムが超長いだけです。

ただ、最近だと、売上のリードタイムが長いものよりも、コンスタントに売上につながるやり方が流行のように思います。サブスクリプションもそうではないでしょうか?

MaaS(Mobilty as a Service)と言っていますが、車を買ってもらうのではなく、車を使ったその人の得たい価値に対して継続的な対価をいただく。カーシェアなんかもそうですよね。

 

閑話休題

個人的にこのLTVって考え方を知って、これは、Agileに使えるなと。LTVが高まること=「顧客から入る売上の向上」なわけですから。これほど、Agileの目的を達したか?に使えるパラメータはないと思うわけです。

 

Agile開発で、具体的なパラメータに悩んでいるようなPJがあれば、これを一つの目標値にすると、成否がわかりやすいかもしれません。また、可能となる投資額も自然と決まってきます。

LTV-投資額=目標利益ですから、

目標利益が決まっていれば(上場企業なら決まっているはずですよね)LTVをいくらに設定すべきか、が明確にわかれば、投資額は決まってきます。まー正しい値になるかはイテレーションの中で調整するとしても、結構シンプルに決まっていけるのではないでしょうか?

 

 

 

テストの価値

今回、若干毛色を変えて、テクニカルで概念という話を。

あれ、あんまり毛色変わってないかも?

 

TPI NEXTというフレームワークがあります。

Test Process Improvement(テストプロセス改善)というものです。

どう使うかは、詳細に解説しているブログや書籍がありますので、最後に記すことにして、今回衝撃を受けた一説があったために紹介したいと思い、筆をとりました。

 

そもそも、「テスト」ってなんでしょうか?

我々に馴染みが深いのは、定期考査や学力テストなど、自身の正答数や率を理解度と変換して点数にする事、ではないでしょうか?

 

では、ITシステムやITサービスにおけるテストとはなんでしょうか?

僭越ながら私の理解を言葉にすると、「ちゃんと意図した通りに動き、また意図しない動きをしないことを保証するもの」です。

つまり、この「テスト」をパスしたものは間違いなくこちらの意図した通りに動き、また意図しない結果を出さないー別の言い方をすれば、未定義のアウトプットを出力しないーことを保証する活動、それがテストだと認識していました。

 

しかし、このTPI NEXT、違いました。 

引用します。

テスト作業とはテスト対象に要求された振る舞いと実際の振る舞いの差異を把握することである。

 

テストとは、「こうあるべき」という理想の姿と「こうなった」という現実の姿の差異を把握するためのものである。

テストの結果は良し悪しではないと断言しています。テストの結果は、「差異の把握」でしかないと、そういっています。

今の日本の教育の現場が聞いたらひっくり返りそうな話です。点数をつけて優劣を競う。それが今のテストの在り方です。教育の現場を揶揄することは本意ではないのでこの辺りで留めます。

 

さらに続きます。

高品質のプロダクトを納めるために、テスト作業が唯一の方法というわけではない。テスト作業は、ITシステムの品質強化全体に貢献する道具の1つにすぎない。

品質への対策には、3つの種類がある。

予防措置:目的は、不十分な品質を防ぐこと。

検出措置:目的は、不十分な品質を発見すること。

是正措置:目的は、不十分な品質を是正すること。

 テストは、不十分な品質を「防ぐ」「発見する」「是正する」この3つだと言っている・・・わけではありません。

若干ミスリードですが、品質への対策は「防ぐ」「発見する」「是正する」の3つであり、テストは、この3つのどれを目的とするのかはテストを使う側、つまり、私たちにゆだねられている。そうとらえるべきテキストです。

当たり前ですが、予防の方がコストも効果も高いことはご理解いただけると思います。

「あ、やっちゃってた!」と気が付いた時にはリリースまで時間がなく、修正のために残業に次ぐ残業なんてのは、あるある話ですよね。

 

つまり、TPI NEXTは、予防措置、不十分な品質を防ぐテストプロセス改善であり、そのフレームを提供してくれているのです。

 

これは、色々話に繋がる示唆だと思いませんが?

 

例えば、ザッカーバーグの名言「完璧に作るより、まず終わらせろ」にもつながりますし、前回から申し上げている「価値を生まない無駄を見つける」や「品質を工程で作り込む」というトヨタ生産方式やリーン生産方式の概念にもつながります。

 

とにかく、早く不十分な品質を見つけることが重要であり、早く見つけることは「予防」することに他ならないのです。

 

トヨタのアンドンは「工程の中に入り込むプロセス上の不十分な品質を発見する」ツールであり「不良を後工程に残さない」ツールです。

Netflixのカオスモンキー。これもそういうツールです。彼らがお客様に提供する価値ー即ち、感動ーを提供できなくする不良をあえてコントロールされた不具合として発現させ、不十分な品質が潜む可能性を予防しています。ま、本番環境のノードをのべつくまなく停止させるなんてそんな乱暴なことよく考えつくと思いますが。(笑)

※ここでいうツールは手段と読み替えていただいてもOK。

 

TPI NEXT、まだ1/3しか読んでおりませんが、冒頭から、これから先の世の中に必要なスキルだと感じずにいられません。

 

あ、読んだ感想なんかもあげたほうがいいのかなぁ。

 

TPI NEXT? ビジネス主導のテストプロセス改善

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TPI Next: Business Driven Test Process Improvement

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  • 作者: Gerrit De Vries,Ben Visser,Loek Wilhelmus
  • 出版社/メーカー: UTN Publishers
  • 発売日: 2009/11/20
  • メディア: ハードカバー
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