なにしてみよっか

サービスってなんだろな?を細々と。基本マニアックなネタが多いです。トヨタ生産方式を信奉してます。某製造業の営業と社内SEをやってました。

目的主導運営(を提唱したい)

ご無沙汰しております。

 

私事により遠ざかっておりました。

書きたいことがないってのもありましたが。

古人を求めず、古人の求めたるところを求めよ。

出典をググってみたのですが、孔子とも、松尾芭蕉とも空海とも。
なんだかよくわからないので、言った「らしい」全員を挙げておきます。

 

古人を越える(追いついて追い越す)ためには、古人そのものを追いかけるのではなく、古人の目指したところを追いかけなさい。(この古人が師だったり、先人だったりと諸説ありますが)という話です。

 

まぁ、その通りですよね。だって、古人と私は違う。その古人が辿った道を同様に辿ったからと言って、同じものが見える可能性はあるでしょうけど100%ではないし、感性も違うから同じものが書けるわけでもない。

じゃあ、どうすればその古人に追いつき、追い越せるかというと、その古人が目指したものを目指せば道はある程度見えてきます。

古人と自分の差(加除算ではなく、違いを見分けるという意味です。2つの図形を重ね合わせてモレ・ダブりを認識するイメージです。)を認識し、同じ目的を達成する為には、どの道を歩むべきかを検討する。

 

今回はそんな話です。

 

普段のビジネスの場において、我々はこの言葉を肝に銘じる必要がある、そう思うわけです。

例えば、社内規定や手続(以下、内規)ってありますよね。これは先人達がやってきた事からそのエッセンスを抽出したり、または、自分たちを取り巻く法律や規制(商法や取引の規制、税金の規程、二酸化炭素排出だったり産業廃棄物だったり)を守るためにあるものです。

 

それら内規って守っておけば間違いはないわけです。では、守るだけでいいのかって話です。

 

巷では、働き方改革や新しい技術の誕生が激しいです。それらを貪欲に取り入れられるか。そこに必要なのは、そもそもの内規の目的に立ち返る必要がある、そう思うわけです。これが、今日のタイトルにある「目的主導(purpose driven)」です。

内規が目指したことは何か。そもそも、社業は何が目的か。それらの目的に照らした時、内規に定義されていることは正しいのか?目的に対して最短ルートの手続きになっているのか?

 

繰り返しますが、今の世の中は変化が激しく、正しく捉えたとしても、それはその瞬間であって、次の日にはまた変わっているような不確実な世の中です。複雑で、単純化するには難しくまた、単純化しても次のタイミングには陳腐化してしまうような世の中なのです。

 

そんな中で唯一信じられるのは、「我々は何を目的にしているのか」「我々は何を守らなければならないのか、それは何故か?」。

要は、何故?に対してその時その時に解を導く目的というパイプラインを持ち続ける事です。(実際の所明確な解はありません。)

 

答えはないのです。答えにつながる方程式を持ち続ける、それが「目的」ではないかと思っています。

 

今まさにディスラプトされる企業に起きている問題はここではないかと思っています。(誤った)効率追求や、ガバナンスのための厳格なアクセス制限などにより、サプライチェーン/バリューチェーン全体が見えにくくなり、結果として「何のための仕事なのか」「この仕事の目的は何か?」が見えなくなる。

反対に、スタートアップ企業やディスラプターは少数精鋭のため、業務もガバナンスも簡単に構築でき、一人が複数の役割を持ち、自分がチェーンの一要素であることを見えやすくできる。

ゆえに、目的を見失いにくく、何か迷ったときにも確実な解を導き出すことができる。

 

大規模なITプロジェクトもそうです。人を増やせば、その分コミュニケーションパスも増え、サプライチェーンバリューチェーンは無駄に長くなり、目的を見失いどこに向かっているのか見えなくなる。

 

すべてにおいて、「目的」を共有できる規模の人員とチェーンの構築に注力すること。これが、この変化の激しい時代に必要な企業の備えではないかと思います。

 

それを作るために、ITを使う。ITの力は、「時間」と「空間」の圧縮。

ITは道具なのです。お客様に価値を届けることにも使えるし、従業員に目的を浸透させ、迷わせない道具としても使えると信じています。

従業員をお客様ととらえれば、管理するためのITではなく、チェーンを紡ぎ、目的を忘れずイキイキと働ける環境を作れるのではないでしょうか?

事業会社のIT部門の方は、そう肝に銘じていただきたいと思います。